日本大百科全書(ニッポニカ) 「エコー&ザ・バニーメン」の意味・わかりやすい解説
エコー&ザ・バニーメン
えこーあんどざばにーめん
Echo & The Bunnymen
1980年代のポスト・パンク、ニュー・ウェーブ期を代表するイギリスのロック・グループの一つ。セックス・ピストルズ、クラッシュを筆頭とするロンドン・パンクの波に触発され、1978年にリバプールでイアン・マッカロクIan McCulloch(1959― 、ボーカル、ギター)がウィル・サージェントWill Sergeant(1958― 、ギター)、レス・パティンソンLes Pattinson(1958― 、ベース)、さらにエコー社製のリズム・マシンの「3人+1台」でエコー&ザ・バニーメンを結成。79年に地元のインディー・レーベル、ズーよりシングル「壁の絵」「モンキーズ」を発表し、高い評価を受ける。「エコー」に代わって生身のドラマー、ピート・デ・フレイタスPete De Freitas(1961―89)が加入し4人組となったエコー&ザ・バニーメンは、イギリス、WEA傘下のレーベル、コロバと契約する。
翌年7月、デビュー・アルバム『クロコダイルズ』(1980)をリリース。ドアーズのジム・モリスンJim Morrison(1943―71)を彷彿させるマッカロクのボーカルと、60年代のサイケデリック・ロックの現代的解釈ともいえる静謐なサウンドは高い評価を受け、彼らは一躍パンク以降のブリティッシュ・ロック界の旗手となる。続いてリリースされたセカンド・アルバム『ヘブン・アップ・ヒアー』(1981)は『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』New Musical Expressi誌の読者投票でベスト・アルバムに選出され、続く『ポーキュパイン』(1983)もヒットした。
84年には彼らが最高傑作という『オーシャン・レイン』を発表するが、この年の終わりになるとグループは活動を休止してしまう。マッカロクのソロ活動やグループのシングル集『ダンシング・ホーシズ』(1985)がリリースされるなど散発的な活動はあったが、この間デ・フレイタスの一時脱退が報じられ、グループは不安定な状況に置かれた。
87年になって3年ぶりのアルバム『エコー&ザ・バニーメン』(1987)がリリースされ、活動を再開するが、88年10月にマッカロクがグループを脱退、ソロに転身する。89年にはデ・フレイタスが死去し、グループは解散状態に追い込まれた。
グループは新メンバーを加え、『リバーバレイション』(1990)をリリースするが、ソロになったマッカロクと同様に、周囲の評価はかんばしくなく、かつての名声は遠いものとなった。
しばらくの沈黙の後、97年にマッカロクがグループに復帰し、『エバーグリーン』を発表して活動を再開。続いて『ホワット・アー・ユー・ゴーイング・トゥ・ドゥ・ウィズ・ユア・ライフ?』(1999)、『フラワーズ』(2001)をリリースし、地味ながら安定した活動を続けている。
[増田 聡]
『『21世紀へのROCKの遺産 音楽専科復刻シリーズ7 パンクの逆襲2』(2001・音楽専科社)』