エトロフ場所(読み)えとろふばしよ

日本歴史地名大系 「エトロフ場所」の解説

エトロフ場所
えとろふばしよ

エトロフ(択捉)島一島を対象に設定された場所(持場)。天保郷帳に「東地嶋々之分」のうち「子モロ持場之内」として「ヱトロフ嶋、右嶋蝦夷人居所之分、タン子モイ、ナイボ、ヲイトフウレベツ、セフウンベツ、ルベツアリモイ、シヤナ、ベトフ、ヲトヱマウシ、シベトロ」とみえる。エトロフ島は国後くなしり海峡の複雑な潮流に阻まれて大型船の渡航ができず、日本人の未踏地であった。一七八六年(天明六年)最上徳内がはじめてエトロフ島に渡航し、「風俗人情之沙汰」に島内モヨロの近くにシャシという最良の昆布がとれること、アツサノボリという高山に薬種のエブリコ(トウボシ)が生えることなどを紹介した。

蝦夷拾遺」は「ヱトロウ」(エトロフ)について「産物はクナジリ、キイタツプ、アツケシへ渡して交易す」と記す。一七八〇年代にはエトロフ島のアイヌがアッケシ、キイタップ(ネモロ場所の前身)クナシリの三場所で交易していた。九八年(寛政一〇年)幕府調査団の近藤重蔵・山田鯉兵衛らがエトロフ島に至り、エトロフ島を開くことを上申し(「ヱトロフ島開国等ニ付上申書草案」近藤重蔵蝦夷地関係史料一)、翌年エトロフ島への官船渡海のため、淡路島出身の高田屋嘉兵衛に航路測定と停泊場の調査などを命じた。一八〇〇年近藤重蔵以下幕府吏員は嘉兵衛の船でエトロフ島ヲイトに着くと、仮会所を設立し、幕府による開発を島民に申渡した。シャナ、ルベツ、ナイホなどに漁場を開き番屋を設け直捌を行った(「ヱトロフ会所日記」同史料二)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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