場所請負(読み)ばしょうけおい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

場所請負
ばしょうけおい

江戸時代,松前藩の支配した蝦夷地 (えぞち) で行われた特殊な植民地経営方法。松前藩は蝦夷地を約 85ヵ所の「場所」と呼ばれる区画に分け,その区画での交易権を知行 (ちぎょう) として上級家臣に与えた。この知行主 (場所持,支配処持などと呼ばれた) は,当初直接アイヌと諸国商人の間に立って交易していたが,次第に交易権を商人に委託し,請負料,運上金を上納させるようになった。このような請負商人 (場所請負人) は前貸制でアイヌを使役し漁獲物を独占,水産加工業などを経営した。 1876年廃止された。

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百科事典マイペディアの解説

場所請負【ばしょうけおい】

江戸時代,松前藩・幕府が行った蝦夷地経営の方式。近世初頭,松前藩は直轄とした和人地(渡島(おしま)半島南部)以外の海岸部をアイヌの各部族の漁業権域に対応した〈場所〉という区域に分け,この場所におけるアイヌとの交易権を知行として家臣に与えた(商場)。元禄〜享保期(1688年−1736年)になると家臣は商人に場所の経営を請負わせ,自らは運上金を受け取るようになる。これが場所請負で,請負った商人は場所請負人とよばれた。場所請負商人は初め交易経営を行ったが,漁獲量増大のために漁場の直接経営に乗り出す。この過程で交易当事者であったアイヌは,商人の買い占め,生産手段の前貸しなどにより,漁場の労務者への変質を強いられた。松前藩の支配が及んだ南千島や樺太の一部にも〈場所〉が設定されたが,1789年国後(くなしり)・目梨(めなし)のアイヌは場所請負人の酷使に対して蜂起(国後・目梨の戦)。1799年東蝦夷地は幕府直轄となり,場所請負制は廃止される。しかし西蝦夷地では幕府直轄となった1807年以降も存続。場所請負人は初め近江商人,幕府領になってからは江戸商人の進出が著しい。1821年松前藩の蝦夷地支配復活後も場所請負制は継続したが,1869年明治新政府によって廃止された。
→関連項目箱館会所

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世界大百科事典 第2版の解説

ばしょうけおい【場所請負】

江戸時代の蝦夷地(北海道・南千島,樺太の一部)における植民地経営の方式。18世紀前期に成立し,明治初年に廃止された。 近世初頭,松前藩は渡島(おしま)半島南部の和人地を直轄するとともに,それ以外の北海道の海岸部を,アイヌの各部族の支配領域に対応させて〈場所〉という領域に区分し,場所のアイヌとの交易独占権を上級家臣に知行として分与した。これは松前藩自体が江戸幕府から与えられた蝦夷地交易独占権を,家臣に分与した商場(あきないば)知行制とみられる。

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世界大百科事典内の場所請負の言及

【蝦夷地】より

…1789年の国後(くなしり),目梨(めなし)地方のアイヌの蜂起や92年のロシア使節ラクスマンの渡来などに刺激された幕府は,98年蝦夷地取締御用掛を設け,翌年東蝦夷地を仮上知し,1802年(享和2)永久上知とし,アイヌ交易や漁業経営は幕府の直営とした。次いで07年(文化4)蝦夷地全域を幕領とし蝦夷地交易の利益を独占しようとしたが,西蝦夷地については旧来の場所請負制を廃止することができず,12年には東蝦夷地についても場所請負制を復活した。21年(文政4)松前氏に還付されたが,場所請負制はじめ蝦夷地経営の方針はおおむね松前藩に引き継がれた。…

【箱館奉行】より

…また,蝦夷地の警備は弘前,盛岡2藩に命じ,非常時には秋田,庄内,仙台,会津諸藩にも出兵を命じた。経営にあたっては,従来の場所請負制度を廃止し,高田屋嘉兵衛,伊達林右衛門,栖原角兵衛などの新興ないし江戸系商人を起用して直捌(直営)を行い,箱館と江戸に会所を設置して蝦夷地産物流通の円滑化をはかった。択捉(えとろふ)島の開発が行われたのもこの時期である。…

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