オハプ(読み)おはぷ(英語表記)Edward Ochab

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オハプ」の意味・わかりやすい解説

オハプ
おはぷ
Edward Ochab
(1906―1989)

ポーランドの政治家。クラクフ生まれ。1929年にポーランド共産党入党、労働者のストライキを組織し繰り返し投獄される。第二次世界大戦中はソ連に逃れ、共産党系の抵抗組織「ポーランド愛国者同盟」の設立に関与し、「コシチューシコ師団」の政治将校を務めた。戦後、ポーランド労働者党中央委員会書記局に入り、統一労働者党結成に重要な役割を果たした。その後、国防次官、党中央委員会書記などを歴任し、1954年政治局員となる。1956年3月ビエルトの急死により党第一書記に就任、政治犯の釈放など非スターリン化に踏み出したが6月にポズナニ暴動が発生、10月に党第一書記の地位をゴムウカ(ゴムルカ)に譲った。1964年には国家評議会議長(元首)に就任するが、1968年、「三月事件」を機に辞任、政治生活から退いた。

[安部一郎・小山 哲]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オハプ」の意味・わかりやすい解説

オハプ
Ochab, Edward

[生]1906.8.16. クラクフ
[没]1989.5.3. ワルシャワ
ポーランドの政治家。 1929年ポーランド共産党入党。 1939年ソビエト連邦に亡命,第2次世界大戦中はソ連でポーランド愛国者同盟に参加。戦後帰国,1950年ポーランド統一労働者党中央委員会書記,1954年党政治局員となり,1956年3月ボレスワフ・ビエルート死去に伴い党第1書記に就任。当初スターリン主義者とみなされたが,しだいに改革派に接近,ポズナン暴動の際にも柔軟に対応した。同 1956年 10月地位をウワディスワフ・ゴムウカに譲り,1957~59年農業大臣,1961~64年国家評議会議長代理,1964年以降同議長に就任したが,1968年3月の学生デモ事件の責任を問われ,健康上の理由で辞職

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