大学事典 「カイロ・アメリカン大学」の解説
カイロ・アメリカン大学[エジプト]
カイロ・アメリカンだいがく
長老派のアメリカ人ワトソン,C.A.(Charles A. Watson, C.A.)が,英語教育による文化貢献のため,大学進学準備リンカーン校(エジプト)(1951年廃止)とともに,アメリカのリベラルアーツ型私立大学として1920年に創立した。人文・自然科学部,教育学部から出発し,1923年短大卒相当学位,28年学士号,50年修士号の授与を開始した。1928年から女子に門戸が開かれた。その後東洋学研究所(1921年)と社会福祉系学科(1924年)が設置され,1956年東洋学研究所が人文・自然科学部に統合されアラビア語学センターとなり,英語研究所も新設された。1961年教育学部が廃止,社会福祉系学科が停止すると,人文・自然科学部のみに再編され,社会学,人類学,政治・経済学や,自然科学のカリキュラムも拡大された。1953年社会調査センター,79年砂漠開発センターが設立された。工学,コンピュータ科学,ジャーナリズム,マスコミ,経営学が大学院教育で活発に行われてきた。1993年,人文・社会学部,自然科学・工学部,経済・経営・コミュニケーション学部が再編され,社会教育学部で教員養成,経営学センター,工学業務科,砂漠開発センター,社会調査センターで専門研究が実施されている。アメリカ,デラウェア州の大学として学位はアメリカで認定され,エジプトでも文化協力協定(1962年)に基づき現地国立大学卒と認定される。
著者: 阿久津正幸
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報