教員養成(読み)キョウインヨウセイ

デジタル大辞泉 「教員養成」の意味・読み・例文・類語

きょういん‐ようせい〔ケウヰンヤウセイ〕【教員養成】

教員になるために必要な知識や技能を教授し、教員としての資格・条件をもつ人を育てること。教育職員免許法に基づいて、原則として大学の教職課程で行われる。

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精選版 日本国語大辞典 「教員養成」の意味・読み・例文・類語

きょういん‐ようせいケウヰンヤウセイ【教員養成】

  1. 〘 名詞 〙 教員としての必要な知識、技能について教育を施し、教員の資格者に養成すること。教育職員免許法に基づき、原則として大学における教職課程で行なう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「教員養成」の意味・わかりやすい解説

教員養成
きょういんようせい

教員になる前の準備教育をさす。これに対し、教員として就職したあとの教員の学びは教員研修という。英語では、前者をteacher preparationまたはteacher training、後者はin-service education of teachers、あるいは、professional development of teachersとよぶことが多い。教師教育teacher educationという用語も使われるが、これは、養成と研修をあわせた意味で使われる。

[牛渡 淳 2024年3月19日]

歴史

日本においては、戦前は、初等学校の教員養成は中等学校レベルの師範学校で、中等学校の教員養成は、専門学校レベルの高等師範学校で行われ、強い聖職意識をもつ「師範タイプ」とよばれる特色のある教員が養成された。第二次世界大戦後、教員養成は大学で行われること、および、すべての大学で必要な単位を取得すれば教員免許状が取得できる「開放制」を二大原則とする新しい教員養成制度が成立した。ただし、開放制の下でも、戦後長い間、小学校教員養成に関しては、教員養成を主たる目的とする国立の教育大学や学部等で養成し、一般大学においては中学校や高等学校の教員を養成するという抑制策がとられてきた。しかし、2005年(平成17)にこの抑制策が撤廃され、一般大学においても小学校の教員養成を目的とする学科の設置が認められたことにより、現在、小学校教員の養成を行う一般大学が急増している。

[牛渡 淳 2024年3月19日]

教員養成制度の現状と改革動向

教員養成の高度化

1966年の国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(UNESCO(ユネスコ))の「教員の地位に関する勧告」以降、教職を専門職として認めることが世界的に広まっていったが、専門職として認められるためには、長期の知的な専門教育が不可欠である。日本では、第二次世界大戦後、教員養成は大学で行うことを原則とし、4年間の学士課程における教員養成において教育職員一種免許状を取得することが標準となった。さらに、教員養成の大学院(修士課程)の設置が進められ、1990年代なかばまでにすべての国立の教育大学・学部に修士課程の大学院が設けられ、加えて、複数の大学による博士課程連合大学院も設けられた。他方、開放制の下で、一般大学の大学院においても、規定の単位を取得することで「専修免許状」を取得することができるようになった。こうした動きのなかで、2000年に大学院修学休業制度が定められ、教員の身分を保有したまま大学院で学ぶことが可能となった。

 さらに、高度専門職業人の育成を目ざす専門職大学院制度の一環として、新たに教職大学院が導入され、2008年に開設された。その目的は、(1)学校現場における職務についての広い理解をもって自ら諸課題に積極的に取り組む資質・能力を有し、新しい学校づくりの有力な一員となりうる新人教員、(2)学校現場が直面する諸課題の構造的・総合的な理解にたって、教科・学年・学校種の枠を超えた幅広い指導性を発揮できるスクールリーダー、を育成することにある。2023年度(令和5)時点で、全国に54校(国立47校、私立7校)設置されている。

 他方、戦後長い間、学士課程における教員養成を標準としてきた教員免許制度を変え、大学院修士課程までの教員養成を標準とすべきであるとの主張が現れた。それが民主党政権による教員養成の高度化案であった。民主党は、2009年7月に、衆議院選挙マニフェスト「教員免許制度の抜本的見直し、教員の養成課程は6年制(修士)」を発表し、大学院レベルまで日本の教員養成を引き上げることを提唱した。この構想は、教員免許状の基礎資格を、学部卒から大学院にまで引き上げる画期的な改革案であったが、民主党が政権をとった後に具体的に検討されたものの、実現をみる前に民主党政権が倒れ、2012年に自民党が政権に復帰したことにより立ち消えとなった。それ以降、自民党政権下での教師教育改革においては、こうした高度化案が議論されることはなく、2021年1月の中央教育審議会(中教審)答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」と、それに続く同年11月の中教審特別部会による「『令和の日本型学校教育』を担う新たな教師の学びの姿の実現に向けて(審議まとめ)」においても、教員不足を背景として、むしろ、大学での教員養成を経ないで得られる特別免許状の拡大を目ざしたり、教員養成よりもむしろ入職後の教員研修に力をいれる改革を提唱している。さらに、文部科学省は、「教員養成フラッグシップ大学」の仕組みを創設し、現行の教育職員免許法を弾力的に運用することによって、優れた研究・人材育成の拠点として全国的な教員養成の高度化に貢献する大学を指定することにし、2022年3月に、東京学芸大学ほか3大学を「フラッグシップ大学」として認定した。

 これに対して、2023年10月、教師教育の専門学会である日本教師教育学会は、開放制の下での大学における教員養成の充実と高度化を目ざして、教員の基礎資格を大学院修士レベルまで引き上げるための教員養成制度の新たなグランドデザインを発表している。

[牛渡 淳 2024年3月19日]

教員養成の質の保証

教員養成の質を保証する仕組みとして課程認定制度がある。教員免許制度が教員個々人の資質・能力を保証する制度であるのに対して、課程認定制度は、その基礎となる大学の教職課程の質を保証することを目的とするものである。教職課程を新たに設けようとする大学は、文部科学大臣に教職課程の申請を行い、中央教育審議会課程認定委員会での審議を経て、教職課程が認定される仕組みである。2015年12月の中央教育審議会答申「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について」により、全国の大学等に置かれている教職課程の内容が大幅に改正されることになり、2019年度から全国一斉に新しい教職課程をスタートさせるために、全国の大学の教職課程の再課程認定が行われた。その際、新たに教職課程および英語教育についてのコア・カリキュラムが作成された。これは、教職課程の各事項について学生が修得する資質・能力を「全体目標」、全体目標を内容のまとまりごとに分化させた「一般目標」、学生が一般目標に到達するために達成すべき個々の基準を「到達目標」として示したものであり、各大学の授業担当者は、自らの担当科目のシラバスに到達目標をかならず加えることが要求された。こうした施策は、多様な形で行われている教員養成に一定の共通性を導入することによって、教員養成の質を保証することを目的としているが、他方、各大学や科目担当者の自由や創造性を縛るものであるという批判もある。

 また、大学における教員養成の質を保証するための課程認定制度は、諸外国においても行われており、その実施主体は政府によるものと専門職団体によるものの2種類がある。後者は、大学教育の質の保証は、大学関係者を中心として自律的に行うという「専門職的自律性」の伝統のうえにつくられたものである。日本においても、こうした質の保証制度が可能かどうか検討されたが、評価に係る事務負担の過度な増大を懸念して、第三者による質の保証制度の導入は断念され、これにかわり、現在、学校教育法(昭和22年法律第26号)に基づいて行われている自己点検・評価のなかで教職課程の評価も行われることになった。これにより、2022年度より、各大学は、教職課程に関する「全学的な組織体制の整備」および「自己点検・評価」を行うことが求められることになった。

[牛渡 淳 2024年3月19日]

『海後宗臣編『戦後日本の教育改革 第8巻 教員養成』(1971・東京大学出版会)』『山田昇著『戦後日本教員養成史研究』(1993・風間書房)』『佐藤学著『専門家として教師を育てる』(2015・岩波書店)』『佐藤学他編『岩波講座 教育変革への展望4――学びの専門家としての教師』(2016・岩波書店)』『日本教師教育学会編『教師教育研究ハンドブック』(2017・学文社)』『早田幸政編『教員養成教育の質保証への提言』(2020・ミネルヴァ書房)』『牛渡淳・牛渡亮著『教師教育におけるスタンダード政策の再検討――社会的公正、多様性、自主性の視点から』(2022・東信堂)』『日本教師教育学会編『「令和の日本型」教育と教師――新たな教師の学びを考える』(2023・学文社)』

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大学事典 「教員養成」の解説

教員養成
きょういんようせい

教育機関に従事する教員としてふさわしい資質の錬成や,力量の形成を意図した教育と訓練。ただし一般的には,大学教員や専門学校教員等を除外した,初等・中等教育機関の教員となるための教育職員免許状を授与する教育プログラムや教育機能を指す。

[近代公教育の成立と教員養成]

近代公教育制度の確立にとって,近代学校の整備と普及,そしてその学校教育を直接に担う社会的職業としての教職(教員)の成立は不可欠な要素であった。したがって,教員養成は国家的な関心事であり,小学校の整備に先立って教員養成の制度化が進められた。日本でも,1872年(明治5)の「学制」発布とほぼ同時に東京に,翌年には大阪および宮城に,そして翌々年には愛知,広島,長崎,新潟に官立の師範学校(日本)が設立されていった。さらに1879年の教育令を経て,翌年の改正教育令により義務化されたために,各府県では小学校教員養成のための師範学校設置が急速に進められ,翌々年の「師範学校教則大綱」により教則の全国的な統一がなされた。

 他方,中等教育機関の教員の養成については,1875年(明治8)に東京師範学校に中等師範学科を置くなどして制度化を進め,やがて官立の高等師範学校(日本)を設置して独立の学校設置に至る。ただし,基本的には専門職としての教育プログラムを適用せずに専門学を修めた大学卒業者や,無試験検定制度の指定機関修了者をもってあてるというものであった。

[二つの教師像と教員養成]

アメリカ合衆国では,知にすぐれたカレッジ出の「学芸の教師(アメリカ)」と教育法に長けた師範出の「方法の教師(アメリカ)」という相克の上で,20世紀に入って中等教育機関が急速に普及・増大することを与件として,両者を統合する動きが進展した。一方,船寄俊雄が明らかにしたように,確かに日本でも,大正から昭和の初めにかけて中学校や高等女学校が普及し始めたが,それらは一部のエリート教育機関に留まったために,「学芸の教師」像によった中等教員養成と「方法の教師」像によった初等教員養成に二元化したまま教員養成が展開した。しかも,高等教育機関の教員養成については,大学においては教員を講座内で自給自足するとともに専門学校の教員を供給するというかたちで,一方,師範教育系の機関においては,師範学校の教員をおもに高等師範学校が,高等師範学校の教員をおもに文理科大学が供給するというかたちで展開したため制度化には至らず,二つの教師像を統合する契機を生み出すこともなかった。

[戦後教育改革と教員養成]

戦前・戦中の反省に立って,日本では,新制大学(日本)は単線型学校体系における高等教育機関の一つに位置づけられ,師範学校や高等師範学校などの師範教育系の機関も,その新制大学に改組再編されることになった。そして,初等教員養成と中等教員養成の統合が図られ,「開放制」原則の下で,大学において教員養成を担うことになった。ただし,師範教育批判が強く,かえって教職への専門職業的な準備教育という理解が十分に深められなかったために,「学芸の教師」像によった学芸大学・学芸学部を理想型とする教員養成大学・学部観を打ち出すことになってしまったのである。

[教員養成制度改革の展開]

戦後,義務教育年限が延長されたことに加えて,ベビーブームが起こり,その世代の成長とともに各学校段階への大量の就学需要が発生することになった。しかも,急激な社会変化や科学技術の急速な発展の影響を受けて公教育は高度化し,国民の高学歴化を促し,後期中等教育や高等教育の拡大を導いてきたために,教員養成についても,質・量ともに問われてきた。したがって,1954年(昭和29)から課程認定制度(日本)が導入されて,教員養成学部・大学以外でも広く養成が可能な「開放制」への制限が加わり,さらに58年の中央教育審議会答申「教員養成制度の改善方策について」を受けて,教員養成系大学・学部の性格づけが「目的化」の方向へと傾斜し,60年代半ばでの学芸大学・学部(Colleges of Liberal Arts)の教育大学・学部への名称変更を促した。その後も教育職員免許法の改正を通じた基準強化がなされ,また国立教員養成系大学・学部に対する大学院修士課程の設置が完了したことを受け,1988年の教育職員免許法(日本)改正により従来の一級・二級の区分が一種・二種に改められ,大学卒業を標準としながらも,小中学校教員にも,高等学校教員と同様に「修士の学位」を基礎資格とする「専修」免許状が新設された。

 一方,1970年代から80年代初め,現職教員を大幅に受け入れることを前提とした大学院大学の創設が賛否両論交わされた末に,兵庫・上越・鳴門の三つの新教育大学が大学院修士課程だけでなく小学校教員養成課程に特化した学部を伴って開設されていった。さらに,2006年(平成18)の中央教育審議会答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」を受け,教職大学院(日本)の設置が進められてきた。ただし,6年制への移行がそのまま大学院修士課程での養成レベルへの移行を意味するものではなく,インターンシップが強調されているように,学問的理解よりも実務経験や適格性をいっそう重視する指向を含んでいる。なお,2010年3月には,教職大学院の認証評価を行う「教員養成評価機構(日本)」が文部科学大臣から認証されている。
著者: 木岡一明

参考文献: 三好信浩『教師教育の成立と発展』東洋館出版社,1972.

参考文献: 船寄俊雄『近代日本中等教員養成論争史論』学文社,1998.

参考文献: 浦野東洋一ほか『変動期の教員養成』同時代社,1998.

参考文献: 横須賀薫『教員養成これまでこれから』ジアース教育新社,2006.

参考文献: 別惣淳二ほか『教員養成スタンダードに基づく教員の質保証』ジアース教育新社,2012.

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百科事典マイペディア 「教員養成」の意味・わかりやすい解説

教員養成【きょういんようせい】

19世紀中ごろから,大衆教育は国家により制度化され,教員養成制度も主として国家によって整備された。日本では,1872年,東京に師範学校が設置され,国家による教員養成が開始された。以降,第2次大戦後の制度改革まで,師範学校が教員養成の中心的機関となった。師範学校とそこで輩出された教員は,国家主義教育遂行上,重要な役割を果たした。戦後教育改革以降,教員養成は,〈開放性〉原則に基づき,主として四年制大学教職課程において実施されている。今日,教員の専門的力量向上の要求から,現職教員のための大学院も設置されている。
→関連項目学芸大学教育刷新委員会教育職員免許法上越教育大学都留文科大学東京教育大学兵庫教育大学

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「教員養成」の意味・わかりやすい解説

教員養成
きょういんようせい
teacher training

初・中等学校の教員を養成するための教育。日本では,明治5 (1872) 年に初めて東京に国立の師範学校が設立された。のち小学校教員の養成は各府県に設立された公立の師範学校 (1943以後国立) を中心として行われた。また中等学校教員の養成は 1886年に設置された国立の高等師範学校を中心とし,その他の教員養成学校で行われた。このほか補足的に教員検定による方法もとられている。第2次世界大戦後は特定の学校による方法を改め,教員養成は教育職員免許法に基づき,原則として大学で行われることになった。したがって教員養成を主とする大学のほか,一般の大学でも教職課程を設けて教員養成を行なっている。また補足的に教員養成の機関も設けられている。

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世界大百科事典(旧版)内の教員養成の言及

【教師】より

…学制では小学校教員は師範学校卒業の免状を有する者,中学校教員は大学卒業免状を有する者とされたが,そのような資格を有する者は少なく,1886年の諸学校通則で〈凡ソ教員ハ文部大臣若クハ府知事県令ノ免許状ヲ得タルモノタルヘシ〉とされ,これにもとづき小学校教員免許規則が出され,免許状を持つ者だけが教員になれるという免許状主義が確立する。これは1900年の教員免許令によっていっそう明確な方針とされ,〈教員免許状ハ教員養成ノ目的ヲ以テ設置シタル官立学校ノ卒業者又ハ教員検定ニ合格シタル者ニ文部大臣之ヲ授与ス〉と定められ,この方針が第2次大戦後の学制改革までつづいた。 以上にあげた正規の教員のほか,25年に〈陸軍現役将校学校配属令〉が出され,師範学校,中学校,実業学校,高等学校,大学予科,専門学校,高等師範学校などの男生徒の教練を担当するため,陸軍現役将校を各学校に配属することが定められた(軍事教練)。…

※「教員養成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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