長老派(読み)ちょうろうは(英語表記)presbyterian

翻訳|presbyterian

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長老派
ちょうろうは
presbyterian

改革派教会の一派の別名。聖職者と信徒代表の長老とが平等に教会を統治しようとする制度をとることからこの名称で呼ばれる。すなわち,各個教会は牧師と若干の長老とによる長老会 (小会) によって運営され,一定地域の数個の教会の長老と牧師が連合長老会 presbytery (中会) を組織し,その上に総会 synod (大会) が形成される。イギリスに始り,特にスコットランドに深く根をおろし,アメリカ,アジア,アフリカの主として英語系諸国へ広まった。日本には J.ヘボンらによって導入され,日本基督公会が創立され,日本基督教会に発展したが,1941年日本基督教団に合同した。この間,植村正久高倉徳太郎などの人材を輩出し,また明治学院,東北学院,フェリス女学院などの教育機関を設立し,活動した。第2次世界大戦後その一部は教団から独立して,日本基督改革派教会や日本基督教会を創立した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長老派
ちょうろうは
Presbyterians

プロテスタントの一派。プレズビテリアンズともいう。カルバンの考えに基づいて、教会統治において俗人の長老Presbytersの発言権を重視したためにこの名がついた。16世紀、ジュネーブの教会に始まり、オランダ、スコットランドに広がり、スコットランドでは国教会に採用された。イングランドでも16世紀後半になると、カートライトThomas Cartwright(1535―1603)などの神学者が長老教会制度の確立を主張し始めた。その後この運動は弾圧されたものの国教会の内部に生き続け、1640年ピューリタン革命の勃発(ぼっぱつ)とともにふたたび表面に現れる。ことに1643年にウェストミンスターで開かれた宗教会議では長老派の影響力が強く、国教会制度廃止後の1644年には、長老教会制度の採用が決定された。しかもこの時期は政治的にも長老派が優勢で、長老派の議員が議会の多数派を占めていた。その後、護国卿(ごこくきょう)政権、王政復古のもとでは、長老派の政治的な力は失われたが、宗教的には依然勢力を持ち続けた。その一部は、北アメリカ大陸に渡り、いまもなお中西部から南部にかけて強固な影響力を保っている。(書籍版 1987年)[小泉 徹]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

事実婚

内縁と同様,法律上の婚姻成立要件を欠くカップルの関係。内縁との違いは,当該男女が,現行の婚姻制度に対しなんらかの疑問をもち,積極的・自発的に法律婚を選択しないという点にある。たとえば,今日の法律婚は女...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

長老派の関連情報