日本大百科全書(ニッポニカ) 「カオダイ教」の意味・わかりやすい解説
カオダイ教
かおだいきょう
Caodaïsme
1926年にサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)北西のタイニン省を中心におこったベトナムの宗教。信徒数が40万(公称200万)に達したこともある。カオダイ(高台)とは宇宙の至上神である天帝の神殿の名称だが、その神の名でもある。この神殿に設けられた「天眼」とよばれる巨大な目がこの神の象徴。教祖レ・ベン・チュン(黎文忠(れいぶんちゅう))(1876―1934)は天帝から「大道三期普度(ダイダオタムキフオド)」という啓示を受けてこの宗教を創始したという。至上の神なる天帝は人類救済のため三度にわたってこの世に救世主(メシア)を遣わしたといい、最初は西欧ではモーセ、東洋では釈迦(しゃか)、二度目はイエスと老子、そして最後の三度目に遣わされたのが自分であると主張する。
カオダイ教の特徴として、(1)前述の主張にみるように、在来の儒仏道三教などと外来のキリスト教を統合しようとする「統一原理」的な発想、(2)教祖を神が派遣した何回目かの救世主とするメシア思想、(3)教祖ほか重要な役割を果たす人物にシャーマン的資質の持ち主が多いこと、(4)儒教経典『礼記(らいき)』にみられる「大同(だいどう)思想」に基づく理想社会(ユートピア)の構想、(5)ローマ・カトリック教からの儀礼や職制などの借用、などを指摘できる。これら特徴のいくつかは、中国清(しん)末の太平天国(1851~1864)や、第二次世界大戦後の韓国におこった原理運動を行う世界基督(キリスト)教統一神霊協会(略称、統一協会、統一教会。現、世界平和統一家庭連合)など、近代以降の東アジアにおこった宗教のいくつかに共通するものである。
カオダイ教は、第二次世界大戦中、反フランス的立場をとったため植民地当局の弾圧を受けたり(1942)、戦後は、南ベトナムではサイゴン政権と武力抗争をして弾圧されたり(1957)、あるいは解放民族戦線に参加したり、北ベトナムでは他の諸宗教とともに国民議会に代表を送るなど、政治との関係でも注目された。サイゴン陥落(1975)、南北ベトナムの統一(1976)以後は、その一部が反政府運動を指導したため、全体として弾圧されたといわれる。
[冨倉光雄]