カスターニョ(読み)かすたーにょ(その他表記)Andrea del Castagno

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カスターニョ」の意味・わかりやすい解説

カスターニョ
かすたーにょ
Andrea del Castagno
(1419以前―1457)

イタリアの画家フィレンツェマサッチョウッチェロといった先輩の画風を学びながら成長するが、1442年にはベネチアに招かれ、サン・ザッカリア聖堂の祭室(アプス)の装飾に従事している。1444年にフィレンツェに帰り、翌1445年から1450年にかけてサンタポロニア修道院に『最後の晩餐(ばんさん)』および3面の受難図を描き、これらの作品は当時大きな反響をよんだという。また、彼はレニャイアのパンドルフィーニ家別荘に9人の男女著名人の等身以上の肖像画を制作した(のちにサンタポロニア修道院の食堂に移された)。1451年からは、ドメニコ・ベネチアーノが制作を放棄したサンテジディオ聖堂のフレスコ画を継続、完成するが、彼の画家としての力量がよく発揮されている作品はサンティシマ・アヌンツィアータ聖堂に描いた『聖ユリアヌス』である。1456年にはフィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)に傭兵(ようへい)隊長ニッコロ・ダ・トレンティーノNiccolò da Tolentino(1350ころ―1435)の騎馬肖像を制作した。この作品は一般にカスターニョの最高傑作とされている。

[濱谷勝也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カスターニョ」の意味・わかりやすい解説

カスターニョ
Castagno, Andrea del

[生]1421/1423頃.カスターニョ近郊
[没]1457.8.19. フィレンツェ
イタリアの画家。師は不明。伝えによればわずか 17歳で作品の注文を受けたといわれる。ドナテロ彫刻の成果を絵画に取入れたその堅固な彫塑性と透徹した自然主義は,15世紀のフィレンツェ派の画家に深刻な影響を与えた。後期の作品では,色彩コントラストがやわらげられ,独特の色調を生み出した。作品には,ベネチアのサン・ザカリア聖堂の天井画,フィレンツェの聖アポロニア修道院の『最後の晩餐』『九人物像』などがある。後年発見された彼の多くのシノピアは,当時彼が素描家としても有名であった事実を裏書している。

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