ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カポジストリアス」の意味・わかりやすい解説
カポジストリアス
Kapodístrias, Ioánnis Antónios
[没]1831.10.9. ナウプリオン
ギリシアとロシアの外交官,政治家。イタリア名カポ・ディストリア Giovanni Antonio Capo D'istoria。イタリアで医学を学んだのち,フランス革命からナポレオン戦争期にケルキラ島で政界に入り,1800~07年イオニア島共和国の外務大臣。 1809年招かれてロシアの外交官となり,ナポレオン戦争に従軍したのち,ウィーン会議に出席。次いで 1816年皇帝アレクサンドル1世の外相に就任。カール・R.ネッセルローデと並んで皇帝の治世初期の自由主義的政策を推し進めた。しかし神聖同盟の政策に反対,1821年ギリシア独立戦争が勃発するとこれを支持してメッテルニヒの憤激を買い,その圧力によって翌 1822年辞任。ジュネーブに引退した。その後もギリシアの独立を支援する組織に加わって運動を続け,アテネが危機に陥った 1827年4月臨時大統領に選ばれて帰国。国境の安全,政府機構の整備,地方割拠主義の克服などの愛国主義的政策は農民の人気を得たが,伝統的ギリシア社会の指導者たちからその独裁的傾向に反感をもたれ,名望家ペトロベイの息子に暗殺された。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報