古代ローマのカラカラ帝がつくった大浴場。ローマ市チェリオの丘の南にある。数多くあった大浴場のうちでも最大の規模をもち、216年に開場したが、内装工事はその後も続けられた。主建築は幅220メートル、奥行114メートルで、熱気浴場、温湯浴場、冷水浴場のほか、各種の集会場、娯楽室、図書館などを備え、1600人を収容できた。いまでは芯(しん)積みのれんがが露出し、床のモザイクが一部残っているだけであるが、当時は壁面は色美しい大理石で覆われ、各所に彫像や噴泉があり、贅美(ぜいび)を極めていたという。カラカラ帝がこれをつくったのは、将兵の休養と市民の人気取りのためであった。現在、毎年この遺跡に大きな舞台と客席を仮設し、野外オペラが行われ、人気をよんでいる。なお、この大浴場のあるローマ歴史地区は教皇領、サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会とともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[紅山雪夫]
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…彼は元老院階層に敵対したが,下層民には好意的であり,精力的な浪費家ぶりは恩恵に浴した兵士や民衆の人気を博した。今日ローマに残存するカラカラ浴場の偉容はそのようすをしのばせる。217年メソポタミア外征中に親衛隊長官マクリヌスによって暗殺された。…
…
【日本】
入浴方法には,密閉した部屋にこもらせた蒸気で蒸す〈蒸気浴〉と,湯槽(ゆぶね)にみたした温湯に入る〈温湯浴〉がある。現在日本では風呂といえば温湯浴が一般的であり,その湯槽および湯そのもの,または洗い場なども含めた部屋(浴室)ないし建物のことを風呂と呼んでいる。しかし風呂をこのような意味で用いるようになるのは,温湯浴が入浴の主流になる江戸時代後期以後の比較的新しいことであり,古代・中世から近世の前半ころまでは,風呂とは蒸気浴(蒸し風呂)のことであった。…
※「カラカラ浴場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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