デジタル大辞泉
「カリーニン」の意味・読み・例文・類語
カリーニン(Mikhail Ivanovich Kalinin)
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カリーニン
- ( Mihail Ivanovič Kalinin ミハイル=イワノビチ━ ) ソ連の政治家。中央執行委員会議長、一九三八年より国家元首にあたる最高幹部会議議長をつとめた。(一八七五‐一九四六)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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カリーニン
Mikhail Ivanovich Kalinin
生没年:1875-1946
ソ連邦の政治家。農民出身の労働者で,ペテルブルグ労働者階級解放闘争同盟にも参加した古参ボリシェビキである。十月革命後は急逝したスベルドロフのあとをうけ,1919年全ロシア中央執行委員会議長,ソ連邦形成(1922)後はソ連邦中央執行委員会議長,つづいて38-46年はソ連邦最高会議幹部会議長として,28年間国家元首をつとめ,特に農民のソビエト国家への統合の象徴となる。1925年末から共産党政治局員として,主流派の誠実な指導者の役割をはたした。
執筆者:下斗米 伸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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カリーニン
Kalinin, Mikhail Ivanovich
[生]1875.11.7/19. ベルフニャヤトロイツァ,トベリ
[没]1946.6.3. モスクワ
ソ連の政治家。農民の出身であるが,のちペテルブルグに出て旋盤工として働き,1898年ロシア社会民主労働党に入党。地下革命運動を行い,たびたび投獄された。 1912年には党中央委員候補に選ばれ『プラウダ』紙創刊に参画。二月革命,十月革命に参加し,革命後ペテルブルグ市長に就任した。 19年全ロシア中央執行委員会議長,ソ連邦成立後の 22年中央執行委員会議長。 26年政治局員,38~46年ソ連最高会議幹部会議長 (国家元首) などの要職を占め,死後は赤の広場に葬られた。レーニン勲章2回,赤旗勲章2回を受章したほか,社会主義労働英雄の称号を受けた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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カリーニン(Mihail Ivanovich Kalinin)
かりーにん
Михаил Иванович Калинин/Mihail Ivanovich Kalinin
(1875―1946)
ロシア(ソ連)の革命家・政治家。ロシアの首都ペテルブルグに近いトベリ県の農家に生まれる。少年時代から首都で見習い工となり、労働運動に加わる。各地の社会民主労働党組織に参加してしばしば逮捕された。1917年の二月革命、十月革命期にペトログラード(サンクト・ペテルブルグ)で活動、革命後はその市長となった。19年に死去したスベルドロフの後任として全ロシア中央執行委員会議長(のち最高会議幹部会議長、国家元首に相当)に就任、死の直前までその職にあった。ソ連の幹部のなかでは、農民、労働者出身の指導者として国民の敬愛を集めた人物であり、大衆のなかでの宣伝、啓蒙(けいもう)活動で貢献をなした。出生地トベリ県はカリーニンにちなんで1931~90年はカリーニン州とよばれた。
[原 暉之]
カリーニン(ロシア連邦)
かりーにん
Калинин/Kalinin
ロシア連邦西部、トベリ州の州都トベリの1931~1990年の名称で、ソ連共産党の指導者カリーニンにちなむ。
[編集部]
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カリーニン
生年月日:1875年11月19日
ソ連の政治家
1946年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のカリーニンの言及
【トベーリ】より
…人口45万9300(1993)。トベーリを,この州出身の革命家M.I.カリーニンを記念して1931年にカリーニンと改称。90年旧称にもどる。…
【トベーリ】より
…人口45万9300(1993)。トベーリを,この州出身の革命家M.I.カリーニンを記念して1931年にカリーニンと改称。90年旧称にもどる。…
※「カリーニン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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