ソ連共産党(読み)ソれんきょうさんとう(英語表記)Kommunisticheskaya Partiya Sovetskogo Soyuza

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソ連共産党」の意味・わかりやすい解説

ソ連共産党
ソれんきょうさんとう
Kommunisticheskaya Partiya Sovetskogo Soyuza

旧ソ連の指導政党。組織的母体は,1898年結成の「ロシア社会民主労働党」。十月革命後,1918年に「ロシア共産党」と改称,25年さらに改称して「全連邦共産党」を名のり,52年ソ連共産党となった。 1903年ロシア社会民主労働党は,第2回大会で,多数派 (ボルシェビキ ) と少数派 (メンシェビキ ) に分裂,このボルシェビキが,レーニンのもとで十月革命を指導した。しかし,22年書記長にスターリンが就任して以降,ボルシェビキは変質していった。レーニンの死を契機としてスターリンによる反対派弾圧が始り,以後,27年の第 15回大会,30年の第 16回大会を頂点トロツキーカーメネフ,ジノビエフ,ブハーリンらが除名され,党内反対派の「血の粛清」によるスターリン独裁体制が完成された。スターリンは,一方で恐怖政治をしくとともに他方では「一国社会主義建設」を目指して第1次 (1928~32) ,第2次 (33~36) 五ヵ年計画を実施し,同時に,ソ連防衛を自己目的化した対外政策を行なった。 36年のスターリン憲法採択は,スターリンの決定的勝利を意味している。しかし 53年スターリンが死ぬと,党内で秘密裏に非スターリン化が進行し,56年の第 20回大会ではフルシチョフによる「スターリン批判」が提起されて,内外に大反響を呼起した。 64年フルシチョフが農業政策などの失敗で失脚して以降,党指導部は,ブレジネフコスイギン体制へ移行した。 77年5月 24日の党中央委員会総会に I.ブレジネフは憲法草案を説明,新憲法およびソ連邦新国歌が承認された。その後,ソ連邦の崩壊と独立国家共同体 CIS創設へといたる過程で,91年8月 24日,ゴルバチョフ大統領によってソ連共産党解散みずからの書記長辞任が発表された。これにより同年 12月をもってソ連共産党は解散,ソ連邦は消滅した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ソ連共産党」の解説

ソ連共産党
ソれんきょうさんとう
Kommunisticheskaya Partiya Sovetskogo Soyuza

旧ソ連で唯一の,かつ国政の指導的中核であった政党
1903年にロシア社会民主労働党が分裂し,独立したレーニンらボリシェヴィキがロシア革命後の18年,ロシア共産党と改称した。1923年スターリンが書記長に就任して,翌年レーニンが死去すると,一国社会主義論を力説して,世界革命論に固執するトロツキー派との間に激烈な党内闘争を展開した。1927年のトロツキー除名後はカーメネフ・ジノヴィエフ・ブハーリンら幹部をつぎつぎに除名し,ナチスの政権獲得後の緊迫した国際関係を背景に36年を頂点とする粛清を強行してスターリン独裁体制を確立,同年スターリン憲法を制定した。この間,党名を1925年より全連邦共産党と改称し,コミンテルン(1919〜43)を通じて各国共産党にソ連防衛の至上課題を遂行させた。第二次世界大戦後もこの傾向は続いたが,1953年スターリンが死去すると,集団指導体制に移行した。1956年第20回党大会でフルシチョフ第一書記がスターリン批判を開始し,中国共産党との対立が顕在化した。1964年農業政策などの失敗でフルシチョフが失脚すると,ブレジネフ・コスイギンの指導体制に転換。中ソ対立の激化や各国共産党の自主路線の強化,国内少数派知識人による政策批判といった諸問題をかかえながら,1977年6月ブレジネフ書記長が連邦最高ソヴィエト幹部会議長(国家元首)に就任して彼の全権支配体制が確立した。1980年代後半からペレストロイカを進めたゴルバチョフ書記長が1990年一党独裁制の廃止に踏み切ると,実権を急速に失い,91年8月ついに解散した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ソ連共産党」の解説

ソ連共産党(KPSS)(ソれんきょうさんとう)
Kommunisticheskaia Partiia Sovetskogo Soiuza

1918年3月にボリシェヴィキ党がロシア共産党と改称して成立(のち全連邦共産党,ソ連共産党と改称)。この党の指導者が国家の指導者であった。レーニンが指導してソ連邦を建設したが,20年代末からはスターリンが,55年頃からフルシチョフが指導し,ブレジネフ以後は集団指導制をとった。中ソ対立までは世界共産主義運動の指導的地位に立っていた。国内では社会主義建設を進める国家と一体化し,その柱であった。ペレストロイカ後の91年に解散した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android