日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェヌロン」の意味・わかりやすい解説
フェヌロン
ふぇぬろん
François de Salignac de La Mothe-Fénelon
(1651―1715)
フランスの作家、大司教。ペリゴールの旧貴族の家に生まれる。イエズス会の学校、パリのコレージュで学んだのち、神学校で修練士となった。1668年サン・シュルピス教会助任司祭、新カトリックの会長に任ぜられ、以後1689年まで、ナントの勅令廃止で旧教徒に改宗した婦女子の教育に携わる。このころ彼はボシュエの弟子としてマントノン夫人に紹介され、ボービエ夫人Duchesse de Beauvillier(1660―1733)たちと交わり、『女子教育論』(1687)を発表する。1689年ブルゴーニュ公の師傅(しふ)に任ぜられ、1693年にはアカデミー・フランセーズ会員に選ばれるが、神秘思想キエティスム(静寂主義)の伝道者ギュイヨン夫人Mme Guyon(1648―1717)との交友を非難され、神秘思想を弁護するため『内面生活に関する聖者格言の解説』(1697)を著す。ローマ教皇はこの書に有罪判決を下し、フェヌロンをカンブレの大司教に左遷、孤独のうちに同地で没。代表作『テレマックの冒険』(1699)はこの緊張した歳月の間に書かれた。
[植田祐次 2017年12月12日]
『志村鏡一郎訳『女子教育論』(『世界教育学選集11』所収・1960・明治図書出版)』