日本大百科全書(ニッポニカ) 「マントノン夫人」の意味・わかりやすい解説
マントノン夫人
まんとのんふじん
Marquise de Maintenon, Françoise d'Aubigné
(1635―1719)
フランス国王ルイ14世の寵妃(ちょうひ)。フランスの学校制度の創始者。「フロンドの乱」での反体制派の貴族の娘として生まれる。文学サロンに出入りしているうちに詩人スカロンと結婚。夫の死後、宮廷に入り、ルイ14世とモンテスパン夫人との子供の家庭教師となり、マントノン領を与えられ侯爵夫人の称号も得た。王妃の死後、王と秘密結婚をし、以後、宮廷内で権力を伸ばし、政治にも口出しするようになって、陰の統治者といわれた。しかし一方では、宮廷の華美遊蕩(ゆうとう)の風を正し、とくに教育事業に力を注ぎ、フランスの女子教育と学校制度の開祖となった。王の死後、パリ郊外サン・シールに引退し、その地に、初めて修道院の付属でない教育機関「サン・シール校」を開いて、近代の学校の基を築いた。
[榊原晃三]
『アラン・ドゥコー著、川田靖子訳『フランス女性の歴史1』(1980・大修館書店)』▽『フランソワーズ・シャデルナゴール著、二宮フサ訳『王の小径』(1984・河出書房新社)』