ギーエン(読み)ぎーえん(英語表記)Oswaldo Ozzie Guillen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギーエン」の意味・わかりやすい解説

ギーエン
ぎーえん
Oswaldo Ozzie Guillen
(1964― )

アメリカのプロ野球選手(右投左打)、監督大リーグメジャー・リーグ)のシカゴ・ホワイトソックス、ボルティモア・オリオールズアトランタ・ブレーブス、タンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)で遊撃手としてプレー。2004年からホワイトソックスの監督として采配を振るう。現役時代は強肩俊敏な遊撃手として知られた。ホワイトソックスの監督としては、長打に頼らない、機動力を前面に押し出したきめの細かい野球(スモール・ボール)で88年ぶりの世界一をもたらせた。

 1月20日ベネズエラのオクマレ・デル・タイで生まれる。1980年、ドラフト外でサンディエゴ・パドレス入団。1981年、マイナー・リーグのルーキー級からメジャーへの階段を一段ずつ上り始め、期待の有望株として、84年にはAAA級に昇格。同年12月、複数の交換トレードでホワイトソックスに移籍。1985年はメジャーに上がると、堅い守備としぶとい打撃で、そのままレギュラーに定着する。ホームランは1本しか打てなかったが、打率2割7分3厘をマークして新人王に選ばれる。安定したプレーぶりで、この年から13年連続で開幕戦に先発出場。その間、1993年には打率2割8分を打ち、チームを鼓舞するようなファイトあふれるプレーで地区優勝に貢献した。1998年にはFAフリーエージェント)でオリオールズに移籍するが、打撃不振で開幕わずか12試合で解雇。だが、その5日後にブレーブスに入団、控え選手として地区優勝を支えた。2000年は4月にブレーブスを解雇されたが、その日のうちにデビルレイズと契約。同年は63試合に出場したが、攻守ともに衰えが目だち、そのシーズン限りで現役を引退する。

 2001年はモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)で三塁ベースコーチ。2002年、03年はフロリダ・マーリンズで三塁ベースコーチを務め、03年はマーリンズ2回目のワールド・シリーズ優勝に貢献した。

 古巣ホワイトソックスの監督に就任したのは2004年。現役時代と同じようなファイトをみなぎらせるスタイルと細かい投手起用で2位を確保。2005年は、ホームラン打者が抜けたこともあり、前年の長打に頼る試合運びから機動力野球に大転換。小技を駆使する戦略(スモール・ボール)で地区優勝、ワールド・シリーズでもヒューストン・アストロズを相手に負けなしの4連勝で優勝を果たし、シーズン後には最優秀監督賞にも選ばれる。2連覇を期待された2006年は、先発投手陣の不調が響き、3位に転落。たび重なる舌禍事件を起こすなど、前年とは逆に監督としての資質を問われる厳しいシーズンになった。

[出村義和]

2007年以降

ホワイトソックス監督4年目の2007年は、72勝90敗と大きく負け越し、アメリカン・リーグの中地区4位。勝率4割4分4厘はリーグ14球団中11位と低迷を極めた。

 選手としての16年間の通算成績は、出場試合1993、安打1764、打率2割6分4厘、本塁打28、打点619。獲得したタイトルは、新人王。監督としての2007年までの通算成績は、344勝304敗、リーグ優勝1回、ワールド・シリーズ優勝1回、最優秀監督賞1回。

[編集部]

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