1920年代ドイツにおいて文明批評を開拓したユダヤ系ドイツ人で,ジャーナリスト,社会学者。《フランクフルト新聞》の学芸欄記者として,アドルノ,ベンヤミンらと近い関係にあり,近代西欧市民文化崩壊と現代大衆文化社会の成立という新しい歴史的現象の分析に先駆的役割を果たした。《学問としての社会学》(1922)においてはその理論的考察を行い,新聞ルポ《サラリーマン》(1930)では大都市のホワイトカラーの実態に焦点を当て,小説《ギンスター》(1928)で当時の青年心理を描くなど,社会の伝記という手法による文明批評の道を開いた。33年ナチスの台頭とともに亡命,パリ時代の《オッフェンバックと同時代のパリ》(1937),アメリカ移住(1941,46年市民権獲得)後の《カリガリからヒトラーまで》(1947)は,オペレッタと映画とを時代の鏡とする手法で生きた社会像を提示した。遺著《歴史》(1969)は理論的総決算である。
執筆者:平井 正
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ドイツ生まれの思想家、文明批評家。哲学、社会学、建築を学んだのち、『フランクフルト』紙学芸欄記者となり、中間層問題、映画など大衆文化現象について、斬新(ざんしん)な文明批評を展開。『サラリーマン』(1929)はその代表作。ナチス政権を逃れ、パリ経由でアメリカに亡命、『オッフェンバック』(1937)、『カリガリからヒトラーまで』(1949)などで、オペレッタ、映画をモチーフに社会思想論をも展開した。
[平井 正 2015年2月17日]
『平井正訳『カリガリからヒットラーまで』(1971・せりか書房)』▽『神崎巌訳『サラリーマン――ワイマル共和国の黄昏』(1979・法政大学出版局)』
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…主人公が殺意を抱くたびに口笛で吹くグリークのメロディの一節,まったく相互につながりのないショットの連鎖にかぶさる子どもの名を呼ぶ母親の絶望的な声など,ラングのサスペンスの深まりを表現するための創意あふれる音の技巧的処理は比類がない。S.クラカウアーは《M》を分裂した自我の象徴として《プラーグの大学生》(1913,26),《カリガリ博士》(1919)の系譜に位置づけ,病的な衝動に服従する主人公に,当時台頭しつつあったナチズムを迎え入れるドイツ人の内面的なパターンを見いだした。翌年ラングはヒトラーの迫害を逃れてパリに亡命するが,51年,マッカーシイズム旋風の中でJ.ロージーがヨーロッパへの亡命を余儀なくされる直前に,《M》を再映画化しているのは偶然の符合にしても興味深い。…
※「クラカウアー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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