改訂新版 世界大百科事典 「クルススプブリクス」の意味・わかりやすい解説
クルスス・プブリクス
cursus publicus
ローマ帝国の駅伝制度。共和政期には政務官も私人も自分の召使を派遣して通信せねばならなかった。アウグストゥスはイタリアや西部で使者を中継する制度を用いていたが,東方,とりわけエジプトで行われていた一定間隔で馬や荷車を備えた駅を置く制度に変えた。これによって1人の使者が駅で馬を乗り替えることにより全行程を行くことができ,必要な場合には口頭で報告することもできるようになった。この制度は公的な通信に限られ,私用する場合には皇帝の許可を必要とし,その許可もまれにしか与えられなかった。まもなく通信ばかりでなく,国家や軍隊に必要な物資の輸送もこの制度で行われるようになった。この制度の維持に必要な輓獣・労働・荷車などの提供は近隣住民にとって重い負担であった。セウェルス朝の時代に税が現物で納められるようになると,その輸送や貯蔵に駅伝の施設が使われ,それに伴って駅伝の制度も再編・拡張されるとともに,それに携わる役人の数も増加した。駅は税の徴収所となり貯蔵のための倉庫が置かれた。これまで道路の重要地点に置かれてきた監視所も駅と同様の役割を果たすようになり,軍隊はそのような場所で補給を受けながら移動した。使者は1日平均約50マイル(1マイル=約1.6km)を旅したが,緊急の場合は全速で駆けた。ライン方面軍反乱の知らせは,真冬のアルプスを越えて,9日,すなわち1日平均約150マイルの割でローマのガルバ帝のもとに伝えられた。
→駅伝制
執筆者:市川 雅俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報