改訂新版 世界大百科事典 「クレディモビリエ」の意味・わかりやすい解説
クレディ・モビリエ
Société Générale de Crédit Mobilier
1852年に,サン・シモン主義者として知られるユダヤ系の銀行家ペレール兄弟がパリに創設した株式投資銀行。〈動産銀行〉とも呼ばれる。ナポレオン3世の庇護を受けて1850年代に急成長をとげ,フランス国内のみならず,スペインから東欧,ロシアに及ぶヨーロッパ大陸の広域で,鉄道および銀行を中心とする多様な業種の企業の発起に従事した。しかし,60年代に入って,ロスチャイルド商会を中心とするパリの国際的な個人銀行グループとの競争が激化するにしたがって,企業活動は投機的性向を強め,経営内容も次第に悪化した。66年恐慌で致命的な打撃を受け,翌67年には経営危機に追い込まれた。71年に,清算した旧クレディ・モビリエの資産を継承した新クレディ・モビリエが創設されるが,昔日の面影はなかった。比較的短命であったとはいえ,旧クレディ・モビリエは株式や公社債の引受け・発行を大規模に行い,ヨーロッパ大陸における証券(動産)の普及=大衆化と同地域における工業化に大きく貢献した。大衆の資金を企業の発起のために動員するという,クレディ・モビリエが開発した産業金融方式は,後進国の工業化に有効であるとみなされ,ドイツや日本では同行を模倣した金融機関が創設された。日本興業銀行もその一つである。
執筆者:権上 康男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報