ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスタンチヌス7世」の意味・わかりやすい解説
コンスタンチヌス7世
コンスタンチヌスななせい
Constantinus VII Porphyrogennetus
[没]959.11.9. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 913~959) 。レオ6世の息子。 912年父の死後,7歳で共同統治の位につき,翌年即位。しかし成人して実権を握るまでは摂政のもとにあり,実務をとることができなかった。 920年にはロマヌス1世が即位して共治帝となり,実権を掌握したのは 945年からであった。こうした境遇と外政,内政ともに比較的平穏な時代を迎えたため,文芸活動を好み,マケドニア朝ルネサンスと呼ばれる一大文化運動の中心人物となり,古文書学者,百科全書家として活躍した。その文芸上のおもな業績には『バシリウス1世伝』 Historikē diēgēsis tou biou kai tōn praxeōn Basileiou,『わが息子ロマヌスへ』 Pros ton idion hyion Romanon (通称,De administrando imperio) があり,後者は周辺国家の歴史とその政治体制を解説した帝国統治論である。ほかにテマ制度の起源および6世紀の帝国の地理解説書である『テマ制度について』 Peri tōn thematōn (通称,De thematibus) ,『宮廷儀式について』 Ekthesis tēs basileiou taxeōs (通称,De ceremoniis aulae byzantinae) ,『バシリカ法典』 Ta Basilika,医学,動物学,農学に関する百科事典で,人文・自然科学部門の 53項目にわたる抄録集『史書抜粋』 Excerptaなどの編纂がある。
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