ゴディンジェム(英語表記)Ngo Dinh Diem

改訂新版 世界大百科事典 「ゴディンジェム」の意味・わかりやすい解説

ゴ・ディン・ジェム
Ngo Dinh Diem
生没年:1901-63

ベトナム共和国南ベトナム)の初代大統領フエカトリック系官人の出身で,早くから親米反共民族主義者として知られた。1954年バオダイ・ベトナム国の首相に任命され,55年国民投票によりベトナム共和国大統領に就任した。その出身,宗教のせいか大衆の支持が得られず,同族,カトリックによる反共ファッショ体制をとった。外交ではジュネーブ協定を無視し,アメリカの援助に依存してベトナム民主共和国(北ベトナム)を敵視する政策をとった。内政では大土地所有者を保護した土地改革を行って,農民層の反発を受けた。60年反ジェムの農民,知識人南ベトナム解放民族戦線結成。61年ベトナムは第2次インドシナ戦争に突入する。63年仏教徒弾圧事件を機に全国に反ジェム・デモが続発し,ついにアメリカはジェムを見放してズオン・バン・ミンら親米将校団にクーデタを起こさせた。11月1日ジェムらは処刑され,南ベトナムは新たな混迷に突入していった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ゴディンジェム」の意味・わかりやすい解説

ゴ・ディン・ジェム

南ベトナムの政治家。フエのカトリック系官人の出身。1954年ジュネーブ協定成立直前米国の支持で首相,1955年国民投票でバオダイに代わりベトナム共和国初代大統領となる。以後独裁的傾向を強め,反ジェムの農民・知識人は1960年南ベトナム解放民族戦線を結成。1961年からのベトナム戦争なかで1963年軍部クーデタにより殺害された。
→関連項目ベトナム共和国

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ゴディンジェム」の解説

ゴ・ディン・ジエム
Ngo Dinh Diem

1901~63

南ベトナムの指導者。カトリック教徒で,1933年阮(グエン)朝高官(吏部尚書(りぶしょうしょ))になるが,フランスと対立して辞任。54年6月にバオダイ政権の首相になり,55年にはバオダイを追放してみずからが大統領(在任1955~63)となるベトナム共和国樹立。南北統一選挙の実施を拒否し,反対派を厳しく弾圧。南ベトナム解放民族戦線の挑戦だけでなく,都市仏教徒の反発も招き,63年軍部のクーデタで殺害された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のゴディンジェムの言及

【インドシナ戦争】より

…第1次インドシナ戦争の終結である。
【第2次インドシナ戦争】
 ジュネーブ会議後17度線以南にはゴ・ディン・ジェム大統領の下にベトナム共和国(南ベトナム)が生まれ,以北にはホー・チ・ミン大統領の下にベトナム民主共和国(北ベトナム)が成立した。民主共和国ではインドシナ共産党の指導の下に,土地改革から合作社化へと急速な社会主義体制づくりが進められた。…

【ベトナム】より

…同年のジュネーブ会議により,ベトナムは北緯17度線を境に北を民主共和国,南をバオダイ・ベトナム国の統治にゆだね,3年後に統一選挙が施行されることになった。しかし翌55年バオダイを廃してベトナム共和国初代大統領に就任したゴ・ディン・ジェムは,アメリカの軍事・経済援助を背景に,南北分割の恒久化を図って民主共和国と対立し,一方,国内では土地改革に失敗して,旧ターディエン(借佃。小作人)層の反乱を引き起こした。…

※「ゴディンジェム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android