ふつう,知識人という場合の知識は,intelligenceではなくて,intellectを指す。すなわち,intelligenceとは,それぞれの学問や芸術において,すでに正当化されている認識パラダイムを遵守し,その規範的枠組み内部で業績や〈生産性〉を追求する知的能力であり,そのかぎりにおいて〈把握,操作,再調整,整理などをこととする〉精神の一側面である。それに対して,intellectとは,〈創造性〉を求めて既定の認識パラダイムの拘束から自己解放し,新たな認識基盤を構築せんとする知性であり,その意味で〈批判,創造,観照などをこととする〉精神の一側面である。したがって,知識人とは,このような〈解放的認識関心〉に基づく精神活動によって生きるばかりでなく,またそのために生きる人間というのが従来の定説である。すなわち,眼前の事実世界や自己の小宇宙を批判的に把握する反省力,直接的経験から身をひきはがして一般的な意味や価値について熟考する能力,聖なるものを賞賛しそれに献身する資質,精神の遊びのなかに喜びを見いだす余裕などを備えた人間であり,同種族の仲間とともに,〈批判的談合共同体community of critical discourse〉を結成し,そこを根拠地にして,新しい文化の創造と普及,激動期の人間の生き方の提示,社会変革のビジョンやユートピアの宣揚などにつき進む人間というイメージである。
しかし,政治の科学化,組織の管理化,文化の産業化が著しく進展し,〈技術的認識関心〉が異常に肥大している現代の先進産業社会では,intelligenceによって生きる人間を知識人問題の領域から除去するわけにはいかない。最近,グールドナーAlvin Gouldnerは,この二つの知識の保持者を〈技術的知識人technical intelligentsia〉と〈人文的知識人humanist intellectuals〉に区別したうえで,両者がともに〈文化資本〉とプロフェッショナリズムのイデオロギーによって結ばれた新しい階級,つまり〈文化的ブルジョアジー〉を構成するにいたっていると主張している。この説に賛成しようとすまいと,これら二つの知識階層の間の牽引・反発の弁証法関係,および相互浸透の問題は絶対に看過されてはならない。
こうした人文的知識人は,近世以前にも散発的,萌芽的に存在していた。しかし,それが庇護者の手を離れ,独自の自意識をもった社会的カテゴリーとして登場したのは,17世紀以降の西欧社会においてである。その促進要因が資本主義社会と国民国家の成立過程における全般的な合理化であることはいうまでもない。とりわけ,伝統的権威の母体であった教会からの知性の解放を進める世俗化の進展,閉鎖的なラテン語にとって代わる母語を中心にした発話共同体の発展,文筆業を保証する出版マーケットの成立,公教育制度の発達による読み書き能力を備えた民衆の増大,発話者の社会的地位や権威から解放された談合の文化の成立などが,人文的知識人とその社会的存立を支える読書公衆の成長に寄与した。なかでも,18世紀のイギリスにおける民衆版サロンとしてのコーヒー・ハウス(喫茶店)や貸出し図書館の発展,また19世紀に入っての文芸市場や出版界の出現による文芸の商品化,さらには既成の権威に対する怨念(おんねん)と反逆をあらわにした若手知識人たちが各地につくり上げたボヘミアン共同体などは,人文的知識人の独自の文化やエートスが形成されるうえでの直接的な制度的環境となった。要するに,彼らの独立の階層としての発展は,その原因でもあれば結果でもあるところの〈文化の民主化〉と深いかかわりをもつものだった。しかし,この〈文化の民主化〉も,20世紀とくに後半期に入り,文化産業によって〈文化の大衆化〉という名のもとに文化的消費財や嗜好材の氾濫という事態を現出するに及び,〈批判,創造,観照をこととする〉人文的知識人にとっては頽落(たいらく)の誘因となってきている。
20世紀前半までの人文的知識人の支配的エートスは,現存の不条理で抑圧的で理念的輝きをもたぬ体制への同調を拒否して,〈欄外的地位marginal〉に身を置き,永久に〈知的平和の攪乱者〉であり続けることだった。こうした支配体制からの自己疎隔へと彼らを導いた理由の一半が,彼らを取り巻く客観的な存在条件の劣悪さにあったことはいうまでもない。その高貴な資質や営為からして当然獲得できるはずの地位や出世の機会が俗物によって阻害されているという思い,あるいは彼らの発揮した〈理念力force des idées〉に対して富や権力の形での適正な報酬が与えられていないという不満など,確かにこれらは人文的知識人を体制から逸脱・離反させるうえでの重要な要因であった。しかし,それ以上に重要なのが彼らの保持する知識そのものの質に起因する要因である。とりわけ,偏狭な郷土主義よりもコスモポリタニズムへと志向する精神的姿勢,部分の分析よりも全体的連関の把握を重視するイデオロギー的視座,虐げられた弱者へのモラリスト的共感をもって高貴な責務とみなす人間学的基盤,こうした知識の質こそがあえて彼らをして非同調主義者に仕立てあげた主体的要因だったのである。
したがって,彼らが,彼ら以上の苦患(くげん)と悲惨にあえぐ農民階級やプロレタリアートに対してモラリスト的同情を示し,これらの階級の解放をめざした社会運動のイデオロギーや戦略・戦術の構築に専念するばかりでなく,実際の闘争に参加したとしても不思議ではない。19世紀のヨーロッパの各地で出現した革命的知識人の群れがその典型である。しかし,〈自己解放運動〉を推進する農民階級やプロレタリアートと,〈他者救済運動〉の性格の強い前衛的エリートとの連合はかならずしも成功裡には進まなかった。とくに革命的知識人のなかで肥大したロマン主義やユートピア主義,あるいはエリート主義的指導に対しては,革命の本隊である2階級からの反発が強かった。そこから,彼らのうえには集合的アイデンティティの混乱が生じ,外部からの要請である〈プチブル性の止揚〉にこたえての内面的格闘が行われることになった。
20世紀の革命的知識人にとっての最大の問題は,革命がロシア,中国,キューバのような農業国では成功しても,本来,科学的社会主義が予測した先進資本主義国では未発に終わっているという現実だった。こうした事態を招来した原因が,技術革新に基づく生産力の飛躍的発展の結果としての〈豊かな社会〉の出現,組織科学の成果をふまえた国家の整備に伴う〈官僚制大衆社会〉の登場,漸進的改良主義の政策と計画を推進する〈福祉社会〉などにあることはほぼ異論ない。一言でいえば,〈プロレタリアートのブルジョア化〉,あるいは〈前衛の体制への編入〉という事態の進展である。加えて,革命後のロシア,とくにスターリン主義下での官僚主義的支配の実態は,革命的知識人の価値を著しく下落させた。
それに代わって社会の前面に登場してきているのが,テクノロジーと管理の両分野における技術的知識人である。それが独自の〈専門・管理階級professional-managerial class〉を構成しているという説には異論があるかもしれないが,〈マス・インテリゲンチャ〉であるという事実は認めないわけにはいかない。彼らは,とくに,独占セクターでは応用科学者,技術者,技師として,また国家セクターでは官僚として働き,プロフェッショナリズムとシステムへの忠誠をその生活信条としている。したがって,彼らの関心はシステムの機能的合理性や既存のパラダイムや規則の枠内での生産性に集中し,革命的知識人が問題にしたようなシステムの正当性の検討や価値合理性の追求には向かわない。グールドナーの警句によれば,〈革命的知識人が古くさい道徳の媒体であるのに対して,技術的知識人は新しい没道徳の媒体である〉。
このような没イデオロギー的,没モラリズム的知識人の存在の仕方を擁護し,実証主義と功利主義の価値を鼓吹したのが,1950年代における〈イデオロギーの終焉(しゆうえん)〉論だった。R.アロンやD.ベルによって唱道されたこのテーゼは,60年代に入り,二つの方向からの反撃に出会っている。一つは,高学歴労働の過剰生産に起因する〈マス・インテリゲンチャのプロレタリアート化〉を予兆した〈新労働者階級論〉によって。もう一つは,理念的正当性をまったく欠き,ひたすら機能的合理性によってのみベトナム戦争を推進してきた軍事的知識人への異議申立てによって。
こうしてみると,革命的知識人も技術的知識人も,現在ますます価値が下落しつつあるかにみえる。とくに,テクノクラート型知識人が推進してきた〈福祉国家〉に対する新保守主義の挑戦が熾烈(しれつ)化してきて以来,両者を含めた知識人全体に対する不信は深刻化してきている。だが他方,成長経済の行詰り,資源枯渇のおそれ,文明公害の噴出,核戦争の脅威などに直面している国家が,新たな価値観や正当性原理の創造を求めていることも事実である。また,ますます複雑化する現代社会が,その正しい理解のために専門的科学の成果に期待するところが大きいことも事実である。こうした2側面の必要を満たすためには,本来一つであるはずのintellectとintelligenceを統合することが肝要である。そのためには,コーザーLewis Coserの言う〈社会と同胞の運命に対する“距離をおいた関心”を通じて,“愛憎判断の中止”と“盲目的連座”の双方を乗り超える〉ことが要請されよう。今日,このような要請にこたえるべく努力しているのが,エコロジー運動の中の知識人たちである。〈テクノローグtechnologue〉と称される彼らこそ,不確実性の時代における新しい人間目標を提示するものである。
執筆者:高橋 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…ロシア語で〈知識人〉の意。とくに批判的知識人を指し,左翼思想,左翼運動の影響とともに,日本その他でも使われるようになった。…
※「知識人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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