ザドルーガ(読み)ざどるーが(英語表記)zadruga

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザドルーガ」の意味・わかりやすい解説

ザドルーガ
ざどるーが
zadruga

スラブ人と西スラブ人の間に古くから存在した家族形態。祖先を同一と信じる父系の血縁親族と嫁入りした女性、婿入りした男性とを含む大家族で、3世代の家族によって構成されることが多い。規模は20人から30人程度であるが、100人を超えることもまれにあった。成員たちは1人の首長(ドマチンdomachinまたはゴスポダーリgospodar’)によって指導、監督され、また、その妻(ドマチナdomachina)が女性成員を指導して家事を取り仕切った。議決事項は成人男女による集会討論、決議され、罪を犯した成員はその集会で裁かれた。

 ザドルーガ起源には、スラブ人のバルカン半島侵入以前とする説と、ビザンティン帝国支配時代以後とする説とがある。いずれにせよ、19世紀まで保持されてきたが、資本主義的生産形態の浸透と土地不足によって19世紀以後急速に衰退する。しかし、当時のスラブ諸国は密告制の奨励のため、ザドルーガを法的に保護しようとしたといわれる。

[佐々木史郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザドルーガ」の意味・わかりやすい解説

ザドルーガ
Zadruga

スラブ人のうち,南スラブと西スラブの間にみられる大家族の父系的血縁集団をさす。特定の土地を共有し,共同労働に従事しつつ,大家屋に共同生活を営む。母屋には一族を代表する強力な家長がいて,自給自足的な全生活を管理していた。ビザンチン帝国の税徴収策に起源を有するこの制度は,マルクスのいう家父長制的家族共同体にあたるとされ,エンゲルスは母権家族から個別家族への過渡期に発生した家父長制大家族残存であると主張した。すでに商品経済の進展に伴い,この制度は姿を消しており,このような制度以前に母権家族が存在したことや,私的な土地所有成立がザドルーガと一致していたかという点は確認しえない。

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