日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザルイギン」の意味・わかりやすい解説
ザルイギン
ざるいぎん
Сергей Павлович Залыгин/Sergey Pavlovich Zalïgin
(1913―2000)
ロシア(ソ連)の小説家。ウラル地方の寒村に生まれる。両親は政治活動のため流刑となった。1939年、オムスク農業大学を卒業後、水利土地改良の研究に従事、第二次世界大戦中はオビ川流域で技師として調査探検を行う。47年にオムスクで出版された『北方物語』は、こういった体験をもとにした短編集。49年には工学修士号を取得し、オムスク農業大学の土地改良学科主任を務めた。55年にはイルクーツクに移り、ソ連科学アカデミー西シベリア支部の上級研究員となる。このころから文筆活動も本格化していった。
最初の長編『アルタイの細道』(1962)は、アルタイ地方の調査旅行の印象をもとに、研究者たちの人間模様を描いた。作家としての地位を確立したのは中編『イルティシ川のほとり』(1964)による。この作品はソ連文学で初めて、スターリン時代のシベリアにおける農業集団化の悲惨で苛酷(かこく)な実態を克明に描き、激しい論議をよんだ。それに続く長編『塩の谷』(1967。翌年にソ連国家賞受賞)では、革命直後の内戦期のシベリアを描き、共産党の指導者の姿を否定的に描いた。中編『委員会』(1975)も同様に内戦期のシベリアを舞台に、自分たちの森を守ろうとした農民の姿を描いた。これらの作品でザルイギンは一貫してシベリアの農村を描いたため、当時ソ連で活躍していた「農村派」作家の一員とみなされることになったが、他の農村派の保守的な価値観に比べると、ザルイギンのほうがより進歩的でリベラルな立場にあった。農村を舞台としない、ザルイギンとしては異色の実験的作品としては、女性科学者の不幸な家庭生活と不倫を描いた長編『南アメリカ・バリエーション』(1973)や、孤独と死の恐怖に苛(さいな)まれる教授を幻想的な手法で描いた中編『おかしな少年、オシカ』(1973)がある。『嵐の後』(1980~85)は、1920年代の「ネップ」(新経済政策)の時期を背景とした大作。
ザルイギンにはチェーホフ、トルストイなどを論じた優れた評論もある。1986~98年には文芸誌『新世界(ノーブイ・ミール)』の編集長を務め、ペレストロイカ(建て直し)の時期の言論自由化を強力に推し進めた。
[沼野充義]
『岩田貴訳『わがチェーホフ』(1990・群像社)』▽『金子不二夫・森本良男編『モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか』(1987・築地書館)』