しん‐せかい【新世界】
[1] 〘名〙
① ヨーロッパ人によって新しく開拓された大陸。特に南北アメリカおよびオーストラリア。
新大陸。⇔
旧世界。
※和蘭通舶(1805)一「南北広大の土地ありて、南北共に亜墨利加(アメリカ)洲と名く、則(すなわち)新世界と云なり」
② 新しく生活したり活動したりする場所。新天地。
※学問のすゝめ(1872‐76)〈福沢諭吉〉一〇「此制限を一掃せしより後は、恰も学者のために新世界を開きしが如く」
③ 「旧約聖書」創世記のノアの方舟(はこぶね)以後、キリスト誕生までの間をいう。
※倭蘭年表(1855)上「ノアークと云ふ人、再び天地の災を納めんと、大功を施し改革せしと云へり、是即ち此後を中世と云ふ、俗に新世界と云へり」
[2]
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新世界
しんせかい
Novyi mir
ロシアの月刊文芸雑誌。ソ連作家同盟の機関誌の一つで,1925年1月に創刊される。初代編集長は A.ルナチャルスキーで,20年代には,M.ゴーリキーの『クリム・サムギンの生涯』や A.ベショールイの『血で洗われたロシア』などの大作,V.マヤコフスキーや S.エセーニンの詩を掲載し,30年代には M.ショーロホフ『開かれた処女地』『静かなドン』をはじめ,L.レオーノフ,V.イワーノフの傑作を発表。第2次世界大戦後も,A.トワルドフスキーが編集長となっていたフルシチョフ時代には I.エレンブルグ,A.ソルジェニーツィンの作品を掲載し,雪どけ派の牙城となっていた。
新世界
しんせかい
大阪市浪速区南東部の一地区。天王寺公園の西に隣接する歓楽街で,1903年開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡の西半分が大衆娯楽地とされたもの (東半分が天王寺公園) 。中心にある通天閣 (当初の高さ 75m。再建後 103m) は,パリのエッフェル塔の模倣といわれ,第2次世界大戦中取りこわされたが,56年再建され,新世界のシンボルとして復活。映画館,劇場,飲食店が集中し,東京の浅草六区と対比される。南へ通じるジャンジャン横丁は林芙美子の『めし』の舞台として有名。
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新世界【しんせかい】
大阪市浪速(なにわ)区南東部の一地区。天王寺公園の西隣にあり,1903年開催の第5回内国勧業博覧会跡地にあたる。通天閣を中心に映画館,劇場,飲食店が集まり,庶民的な娯楽街をなしている。南に小料理屋,飲食店が並ぶジャンジャン横丁が続く。
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新世界
東京都港区西麻布にあるライブ・スペース。2010年、小劇場「自由劇場」の跡地に「音楽実験室・新世界」としてオープン。2016年にリニューアルし、音楽に限らず演劇やパーティーなどさまざまなイベントに利用できるスペースとして運営している。
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しん‐せかい【新世界】
1 大航海時代以降にヨーロッパ人が新しく発見した、南北アメリカやオセアニアなどの地域をいう。特に、アメリカを指していうこともある。⇔旧世界。
2 新しく生活したり活動したりする場所。新天地。
[補説]地名・書名別項。→新世界
しんせかい【新世界】[地名・書名]
大阪市浪速区、天王寺公園の西に接する繁華街。明治36年(1903)に開かれた内国勧業博覧会の跡地の西半分に設けられた。通天閣などで知られる。
小尾十三の小説。昭和40年(1965)刊。
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しんせかい【新世界 Nuevo Mundo[スペイン]】
15世紀から16世紀にかけてヨーロッパ人(とくにスペイン人)が発見した現在の南北アメリカ,カリブ海諸島の呼称。この言葉は1502年から04年ころにパリで発行されたとされるアメリゴ・ベスプッチの書簡体の小冊子《新世界Mundus novus》で初めて用いられた。1499年から1504年にいたるまで,イタリア人ベスプッチはスペイン国王,のちにはポルトガル国王に仕えて,現在の中央アメリカからブラジル,アルゼンチンに達する海岸線を調査し,コロンブスらが発見した土地がヨーロッパとアジアの中間に位置する新大陸,すなわち新世界であることを認めた。
しんせかい【新世界】
大阪市浪速(なにわ)区にある天王寺公園西隣の歓楽街。1903年に開かれた第5回内国勧業博覧会の跡地の東半分を天王寺公園とし,1912年西側に新世界をつくった。中央にパリのエッフェル塔をまねた通天閣(高さ75m)が建ち,ルナパークと称する娯楽場,映画館,演芸場などの並ぶ歓楽街としてにぎわった。通天閣は第2次世界大戦中撤去され,1956年に現在の高さ103mのものが再建された。【大沢 正敏】
しんせかい【新世界 Xīn shì jiè】
中国,上海で1915年に作られた総合遊戯場。すでに上海には屋上庭園とよばれる展望台と娯楽演芸とを組み合わせた施設が流行していたが,演劇,歌舞,講談,曲芸,幻灯,スケート場等の新旧娯楽を1ヵ所に集中して,食堂,喫茶部等をも配し,比較的安い料金で多くの演目を楽しめるようにした新趣向の娯楽施設である。創業時の入場料は2角,1ヵ月の月極めは3元。内外の文明の接点である開港場にふさわしいものとして大衆にうけ,家族ぐるみの行楽の場として上海市民の娯楽に新生面を開いたのみならず,しだいに他都市にもひろがっていった。
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世界大百科事典内の新世界の言及
【ベスプッチ】より
…のち1501‐02年と03‐04年,ポルトガル国王マヌエルの要請で東インドへの航路の発見などを目的としてブラジル沿岸へ航海。ベスプッチはこのとき目撃した土地がアジアではないと確信し,数通の書簡の中で〈新世界Mundus Novus〉という言葉を用いて新大陸であることを記した。これらの書簡は1503年に公刊されると,たちまちにして多数の読者を獲得し,各国語に翻訳された。…
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