ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シナースィ」の意味・わかりやすい解説
シナースィ
Şinasi İbrahim
[没]1871.9.13. イスタンブール
オスマン帝国のジャーナリスト,詩人。幼時に軍人の父を失い,初め砲兵局の役人となった。若くして詩才を認められ,1849年パリに留学,財政学とフランス文学とを学んだ。 53年に帰国。 60年アーギャーフ・エフェンディとともにトルコで最初の民間人による新聞『世情の翻訳』 Tercümân-i Ahvâlを発行。次いで『世論の注釈』 Tasvîr-i Efkâr紙を主宰し,両紙で政治問題の解説やヨーロッパ文学の紹介に努めた。 65年,大宰相アーリー・パシャに排斥され,新聞事業をナムク・ケマルに譲ってパリへ行き,69年帰国後,死去した。詩人としては,自然主義的作風をトルコに導入し,ラ・フォンテーヌらの詩を翻訳,紹介することによってトルコ近代文学およびジャーナリズムの発展に寄与した。詩集『翻訳詩集』 Tercüme-i Manzûme (1858) ,戯曲『詩人の結婚』 Şâir Evlenmesi (60) などがある。
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