ラマルチーヌ(読み)らまるちーぬ(英語表記)Alphonse de Lamartine

精選版 日本国語大辞典 「ラマルチーヌ」の意味・読み・例文・類語

ラマルチーヌ

  1. ( Alphonse Marie Louis de Prat de Lamartine アルフォンス=マリー=ルイ=ド=プラ=ド━ ) フランス詩人政治家。ロマン派四大詩人の一人。詩的理想主義を奉じて、音楽性豊かな叙情詩を書いた。一八四八年の二月革命臨時政府外相として活躍作品に詩「ジョスラン」、詩集瞑想詩集」など。(一七九〇‐一八六九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラマルチーヌ」の意味・わかりやすい解説

ラマルチーヌ
らまるちーぬ
Alphonse de Lamartine
(1790―1869)

フランスの詩人、政治家。パリ南東の地方都市マコンに王党派貴族の子として生まれる。リヨンの大学で法律学を学ぶ一方、新進のロマン派詩人として有名になった。1820年の『瞑想(めいそう)詩集』Méditations poétiquesに収められた「湖水」は、人々に愛唱された。同年イギリス女性と結婚し、またナポリ駐在の外交官となってイタリアに赴任した。詩作のかたわら、彼の関心は宗教や政治に向かうようになり、確固たる原則に基づく合理的政治を求めて、普通選挙や言論の自由、無償義務教育、国家と教会分離などを主張した。1833年にはノール県選出の国会議員となり、七月王政下の野党議員として活動した。彼の政治的立場は、社会問題を重視するブルジョア的合理主義であった。

 「一八四八年の革命」で、彼は臨時政府の事実上の首班となった。共和制を確立し、テロリズムを排除し、社会的施策を実施することが、彼のねらいであった。赤旗を退けて三色旗を守り、失業者のために「国立工場」を設立し、普通選挙を実施して第二共和政の安定化を図った。しかし、彼の意図に反して、4月の総選挙後の政局は急速に右傾化し、ラマルチーヌの改革はすべて葬られ、ルイ・ナポレオンが台頭することとなって引退を余儀なくされ、文筆生活に復帰した。

[河野健二]

『河野健二著『現代史の幕あけ』(岩波新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラマルチーヌ」の意味・わかりやすい解説

ラマルチーヌ
Lamartine, Alphonse de

[生]1790.10.21. マコン
[没]1869.2.28. パリ
フランスの詩人,政治家。ブルゴーニュ地方の小貴族の家に生れ,ベレなどで教育を受けたのち,1811年イタリアに旅行。 16年エクス=レ=バンでシャルル夫人を知り愛し合ったが,翌年に夫人は他界,その絶望から『瞑想詩集』 Les Méditations (1820) を書き,一躍文名を高めた。以後 10年間外交官生活をおくり,33年代議士,48年の二月革命で要職についたが,51年失脚した。その間も文学活動を続け,『新瞑想詩集』 Nouvelles Méditations (23) ,『諧調詩集』 Harmonies poétiques et religieuses (30) ,『ジョスラン』 Jocelyn (36) ,『静思詩集』 Les Recueillements (39) などを発表。晩年は借金返済のため,多くの小説を書いた。

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