シャーフィイー(読み)しゃーふぃいー(その他表記)Muammad ibn Idrīs al-Shāfi‘ī

関連語 後藤

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャーフィイー」の意味・わかりやすい解説

シャーフィイー
しゃーふぃいー
Muammad ibn Idrīs al-Shāfi‘ī
(767―820)

イスラム教のスンニー派法学理論の大成者。彼の教説から、スンニー派公認の四法学派の一つシャーフィイー学派が生まれた。メッカで育ち、メディナでマーリク・イブン・アナスのもとで法学を学び、イラクエジプトで活動した。彼の墓はエジプトのフスタートにあり、後世巡礼地となった。イスラム法の法源を、コーランスンナ(預言者ムハンマドの範例)、イジュマー(イスラム共同体の合意)、キヤース(類推的判断)の四つに限り、法学の基礎を確立した。

鎌田 繁 2018年4月18日]

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改訂新版 世界大百科事典 「シャーフィイー」の意味・わかりやすい解説

シャーフィイー
al-Shāfi`ī
生没年:767-820

イスラムの法学者。スンナ派法学派の一つシャーフィイー派の祖。クライシュ族の血を引く。ガザで生まれたが,幼くして父を失い,母とメッカで貧しい幼年時代を過ごした。ベドウィンからアラブの古詩を学び,メッカで法学を学んだ後,メディナでマーリク・ブン・アナスに師事した。官職についたが,シーア派蜂起との関係を疑われ投獄,釈放された後は,各地で学びかつ教え,エジプトで没した。主著は《起源の書Kitāb al-umm》。
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