ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュシュニック」の意味・わかりやすい解説
シュシュニック
Schuschnigg, Kurt von
[没]1977.11.18. インスブルック近郊ムッタース
オーストリアの政治家。インスブルック大学などで法律学を学んだ。弁護士から政界入りし,1927年最年少の国民議会 (下院) 議員となり,キリスト教社会党のホープとうたわれた。 32年法相,34年 E.ドルフス首相暗殺後,首相兼国防相。キリスト教的身分国家の建設という理念から社会民主党および国粋主義派との妥協を拒否。 38年2月オーストリア・ナチス党の暴動計画を察知し,これを未然に防止するためベルヒテスガーデンで A.ヒトラーと会談。オーストリア・ナチス党の A.ザイス=インクワルトを内相につけるようにとの要求に対し国民投票を呼びかけたため,ヒトラーに最後通牒を突きつけられ,3月辞任。その直後ドイツ=オーストリア合併が行われた。 41年逮捕され,強制収容所を転々とした。第2次世界大戦後はオーストリアに住むことを拒否,イタリアに居住。 48~67年アメリカのセントルイス大学で政治学を講義。 67年帰国し,死去するまでチロルに在住した。
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