日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャロウ」の意味・わかりやすい解説
ジャロウ
じゃろう
Al Jarreau
(1940―2017)
アメリカのボーカリスト。ウィスコンシン州ミルウォーキーに生まれる。ジャズだけでなく、リズム・アンド・ブルース(ソウル・ミュージック)、ポップとジャンルを超えて活躍した。1970年代以降のアメリカのメインストリームに登場した歌手のなかでも際立ったスタイルをもつ一人として知られる。
歌は幼いころから好きだったが学生時代はプロ・シンガーになるつもりはなく、地元の名門ライポン大学では心理学の学位を取得し、続いてアイオワ大学では「職業リハビリテーション」に関する学位を取った。職業リハビリテーションとは、障害をもつ人のための就職支援、生活の向上などをバックアップする総合的な活動のことで、彼は卒業後、この学位をもとにしてサンフランシスコでカウンセラーをしていた。
しかしシンガーへの夢は断ちがたく、1960年代なかばにはアルバムを作るものの失敗、その後、クラブやテレビなどの仕事をしながらメジャー・デビューのチャンスを探っていた。そして1975年にリプリーズ/ワーナーと契約しアルバム『ウィ・ガット・バイ』を発売。自在にメロディを崩していく唱法が、一躍脚光を浴びることになった。
1977年、ライブ・アルバム『ルック・トゥ・ザ・レインボー』Look to the Rainbowでグラミー賞のベスト・ジャズ・ボーカル・パフォーマンス賞を獲得、ジャズ・ボーカルの世界に新風を送り込む存在として高い評価を得た。続く1978年の『オール・フライ・ホーム』ではベスト・ジャズ・ボーカリスト賞、1981年のミリオン・セラー・アルバム『ブレイキン・アウェイ』ではベスト・メール・ポップ・ボーカリスト賞とベスト・メール・ジャズ・ボーカリスト賞を獲得している。さらに1992年の『ヘヴン・アンド・アース』ではベスト・リズム・アンド・ブルース・ボーカル・パフォーマンス賞と、グラミー賞においてこのように異なるカテゴリーで5回も受賞しているのはジャロウだけである。
基本にはジャズの世界で培(つちか)った即興の技法があるものの、誰にもわかりやすいポップな境地を切り拓いたジャロウの活動は、後輩のジャズ系シンガー、ボビー・マクファーリンBobby McFerrin(1950― )らの良き道しるべとなった。
[藤田 正]