ジロー(読み)じろー(英語表記)Henri Giraud

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジロー」の意味・わかりやすい解説

ジロー
Giraud, Yvette

[生]1916.9.14. パリ
[没]2014.8.3. ストラスブール
フランスシャンソン歌手。タイピストとしてレコード会社に勤務していたが,1944年からモンパルナスキャバレーでうたい始める。1945年歌手デビューを果たし,翌 1946年『あじさい娘』がヒット。1952年『詩人の魂』で ACCディスク大賞受賞ピアニストマルクエランと結婚。1955年に日本を訪れて以来,日本が気に入り,1990年代まで毎年のように訪日した。日本語でうたった初の外国人歌手で,日本語を交えた低音の歌声でイブ・モンタンと人気を二分する歌手となり,シャンソンブームを引き起こした。日本の全国各地でコンサートを開き,老人ホームの慰問などを続けた。『バラはあこがれ』『街角』などのヒット曲で知られ,晩年は『サヨナラ アデュー・ジャポン』を好んでうたった。1994年に勲四等宝冠章を受章。

ジロー
Giraud, Henri (-Honoré)

[生]1879.1.18. パリ
[没]1949.3.11. ディジョン
フランスの陸軍軍人,大将。 1900年サンシール士官学校卒業。モロッコで軍務につき,第1次世界大戦では捕虜となった。 22年アフリカに帰り,モロッコ北部で再び軍務についた。 36年第6管区司令官,39年第7軍司令官。 40年ドイツ軍のベルギー侵入の際,第9軍司令官となったが,捕虜となり,42年脱走。同年連合軍のアフリカ上陸作戦の直前北アフリカに送られ,フランス軍司令官としてドイツ,イタリア軍と戦った。 43年6~10月ドゴールとともにフランス解放委員会議長。 44年ドゴールと意見が合わず引退した。第2次世界大戦後,制憲議会議員に選ばれ,48年まで軍事参議会副議長。

ジロー
Gillot, Claude

[生]1673.4.27. ラングル
[没]1722.5.4. パリ
フランスの画家装飾美術家。初め父アンドレ・ジャックに絵を学び,のちコルネイユに師事。装飾美術家として世に出て,30歳でパリのオペラ座の装飾を担当。 1715年アカデミー会員となる。イタリア喜劇,フランス喜劇に題材をとった作品を多く描き,弟子の A.ワトーや N.ランクレに影響を与えた。代表作『二輪車』 (1707,ルーブル美術館) ,『パン神の祭り』。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジロー」の意味・わかりやすい解説

ジロー(Henri Giraud)
じろー
Henri Giraud
(1879―1949)

フランスの陸軍軍人。1900年にサン・シール士官学校卒業。第一次世界大戦に歩兵将校として従軍。1927~1929年陸軍大学教授、1930年将軍に昇進。1920年代および1930年代、モロッコで民族運動鎮圧。第二次世界大戦で第9軍司令官として西部戦線で活躍後、1940年5月ドイツ軍捕虜となり、1942年4月脱走して、11月米英連合軍の北アフリカ上陸作戦に協力、とくにアメリカ側から現地の軍事・政治上の長官として重用された。しかしレジスタンス(抵抗運動)をめぐり、ドゴールに対抗して及ばず、一時は国民解放委員会の長を彼と分かつが、やがて軍総司令官にとどまった。1943年9月コルシカ島の解放に成功後、1944年4月引退。回顧録的な著作がある。

[山上正太郎]


ジロー(Claude Gillot)
じろー
Claude Gillot
(1673―1722)

フランスの画家、版画家。ラングル生まれ。パリでジャン・バティスト・コルネイユに学び、1715年アカデミー会員になる。初期には神話画を、後期にはイタリア喜劇の舞台を主題とした。多くのアラベスク文様のデッサンを描き、同時代の各種の装飾芸術に図案を供給。青年期のワトー、ランクレは彼に師事したが、オペラ座の衣装を監督し、舞台の情景を得意とした彼の主題は、ワトーたちに受け継がれ発展させられた。代表作は『車夫の争い』(ルーブル美術館)など。パリに没。

[中山公男]


ジロー(Yvett Giraud)
じろー
Yvett Giraud
(1916―2014)

フランスのシャンソン歌手。本名はイベット・ウロンで、パリ生まれ。タイピストとして働くうち、1945年、勧められてレコード歌手としてデビューし、翌年の『あじさい娘』がヒットして、これが彼女の愛称となった。1952年には『詩人の魂』がディスク大賞を受賞。1955年(昭和30)の初来日以降、ほとんど毎年のように来朝。外国人歌手として初めて日本語で歌い、一時期シャンソン・ブームを起こした。1997年日本ツアー終了後に、アルバム『アデュー・ジャポン さようなら美しい日本』をレコーディング、高齢を理由に日本でのコンサートは最後となった。1994年、日本政府より勲四等宝冠章を受章。

[永田文夫]

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