ストラッフォード(読み)すとらっふぉーど(英語表記)Thomas Wentworth, 1st Earl of Strafford

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストラッフォード」の意味・わかりやすい解説

ストラッフォード
すとらっふぉーど
Thomas Wentworth, 1st Earl of Strafford
(1593―1641)

イギリス政治家。ストラフォード伯トマス・ウェントワースともよばれる。ヨークシャーの裕福な地主の家に生まれる。ケンブリッジ大学を卒業したのち宮廷に仕えた。1614年ヨークシャーから庶民院議員に選出され、1620年代を通じて政府反対派の指導者となり、「権利請願」の採択にも努力した。しかし、1628年に北部統監、1633年にアイルランド総督代理の地位を与えられると、もっとも有力な国王支持派となり、ウィリアム・ロードとともにチャールズ1世の無議会政治を支える役割を果たした。教会および裁判所を通じて国民を統制しつつ政策を追求するその無慈悲な「徹底政策」は全国民の反感を買い、1640年に長期議会が開かれたとき、怨嗟(えんさ)の的となって、すべての私権剥奪(はくだつ)されて処刑された。(書籍版 1987年)
小泉 徹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストラッフォード」の意味・わかりやすい解説

ストラッフォード(伯)
ストラッフォード[はく]
Strafford, Thomas Wentworth, 1st Earl of

[生]1593.4.13. ロンドン
[没]1641.5.12. ロンドン
イギリスの政治家。 1614年より下院議員になり,最初は国王の政策に批判的であったが,28年北方院総裁,29年枢密顧問官に任じられた頃から転向し,W.ロードと並ぶチャールズ1世の最大の補佐役になった。 33年アイルランド総督になり,経済開発に功績はあったものの,力ずくで先住民を抑圧するやり方は「徹底政策」と恐れられた。 39年帰国して伯爵長期議会君側の奸として弾劾され,処刑された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ストラッフォード」の解説

ストラッフォード
Thomas Wentworth, 1st Earl of Strafford

1593~1641

イングランドの政治家。1614年下院議員となり,初めは国王反対派に属したが,転向してアイルランド総督となり,ロードとともにチャールズ1世専制政治中心人物となり,40年伯爵に叙せられた。長期議会によって処刑された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ストラッフォード」の解説

ストラッフォード
Sir Thomas Wentworth, 1st Earl of Strafford

1593〜1641
ステュアート朝前期のイギリスの政治家
エリザベス朝の絶対王政理想としてチャールズ1世の寵臣となり,長期議会で反逆罪に問われて処刑された。

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