1628年5月、イギリス国王チャールズ1世の第3議会に提出された文書。王位継承以来たびたびフランスやスペインと戦争を行ってきたチャールズ1世は、戦費を強制貸付や上納金などに頼っていた。そのため国内に不満が高まっていたが、レー島(フランスのラ・ロシェル沖合い)遠征に失敗したのをきっかけとしてそれが爆発した。とくに庶民院には不満が根強く、国王の政策を非難する決議を採択しようとした。しかし貴族院がこれに同調しなかったため、庶民院は法律家クックの手によって臣民の権利を確認する請願を起草した。これが権利請願である。その内容は、議会の同意を得ない強制貸付、上納金を課さないこと、恣意(しい)的な投獄を行わないこと、軍隊の強制宿泊を行わないことなどからなっており、貴族院もこれを支持した。特別税の承認を必要としたチャールズ1世はやむなく裁可したが、翌1629年、庶民院がこれを盾にトン税(輸入ぶどう酒関税)、ポンド税(輸出入商品関税)など古来から認められてきた関税の徴収を拒否したため、チャールズ1世は議会を解散して11年に及ぶ無議会政治に突入した。(書籍版 1986年)
[小泉 徹]
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…議会を中心にして,ジェントリー,コモン・ロー専門家,さらに国教会体制を批判するピューリタンの三者が手を握って,国王と宮廷に対する挑戦を開始した。 1628年議会が提出した〈権利請願〉は,国王の政策がマグナ・カルタ以来保障されていた国民の権利を侵すものと訴えた。チャールズ1世は以後11年間議会を開かずに専制政治を行ったが,37年船舶税の徴収範囲を広げて訴訟をうけ,また同年スコットランドに国教会の祈禱書と儀式を強制して,激しい抵抗にあった。…
…野に下ったクックは,その後の最初の議会が開かれる21年に下院議員として当選し,以後下院の政府反対派の領袖として,コモン・ローの優位,人民の自由の擁護に努めた。この点は特に,近代イギリス憲法の柱の一つとされる有名な権利請願(1628)が彼の起草・推進によるという事実からも推測できる。クックの著作は,特に13巻に及ぶ《判例集》(1600‐59)と,4巻の《イングランド法提要》(1628‐44)が有名で,共に高い権威を有している。…
…しかし統治においては寵臣バッキンガム公の専横が国民の不満を買い,また,スペインのカディスへの遠征やフランスのラ・ロシェルのユグノー救援に失敗し,国庫を枯渇させて重税を課し,議会との摩擦を生んだ。そのため第3議会は1628年〈権利請願〉を提出,イギリス国民の既得権に基づいて国王の失政を批判した。国王はいったんこれを認めたが,翌年議会を解散,以後11年間,カンタベリー大主教W.ロードとアイルランド総督ストラフォード伯の2人を側近として,専制支配を行った。…
…かくて議会を中心にジェントリー,コモン・ロー専門家,ピューリタンの3者が共同戦線を組んで,国王と宮廷に挑戦した。 1625年父王を継いだチャールズ1世の治世には,緊張はさらに高まり,28年その第3議会は,クックが中心になって〈権利請願Petition of Right〉を国王に提出した。それは献金の強制,議会の同意なき課税,不法な逮捕・投獄,兵士の無料宿泊,軍法裁判の濫用といった国王の行為は,13世紀の〈マグナ・カルタ〉をはじめとするコモン・ローによって保障されてきたイギリス人の権利と自由を侵すものであることを訴えたものであった。…
※「権利請願」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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