ストロング(その他表記)Anna Louise Strong

デジタル大辞泉 「ストロング」の意味・読み・例文・類語

ストロング(strong)

強いこと。丈夫なこと。
飲み物などの味が濃いこと。また、飲み物などに含まれるアルコール分が多いこと。「ストロングコーヒー

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精選版 日本国語大辞典 「ストロング」の意味・読み・例文・類語

ストロング

  1. 〘 名詞 〙 ( 形動 ) ( [英語] strong )
  2. 強いこと。また、そのさま。〔外来語辞典(1914)〕
  3. コーヒーなど飲み物が濃い味であること。また、そのさま。

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改訂新版 世界大百科事典 「ストロング」の意味・わかりやすい解説

ストロング
Anna Louise Strong
生没年:1885-1970

アメリカの女性ジャーナリストネブラスカ州の牧師の娘として生まれ,シカゴ大学卒業後フレンド派教会の奉仕団の一員として訪ソ。そのままソ連にとどまり,1930-36年,英文《モスクワ・デーリー・ニューズ》紙副編集長を務める。まさに自伝の題名どおり〈生きる世界を選びなおした〉のである。《私は世界を変える》(1935)の〈世界を変える〉とは,そういう意味である。むしろソ連の辺境地区に関心を示し,27年の国共分裂に際してはコミンテルンの顧問M.ボロジンとともに内陸路で脱出,《ボロジン脱出記》は戦前,日本にも紹介された。46年に延安を訪問,毛沢東から〈帝国主義は張り子の虎〉論を聞き出したことは名高い。中ソ対立の余波をうけて49年ソ連からスパイ容疑で追放され帰米。55年名誉回復。58年中国へ渡り,62年から《中国からの手紙》を発行しつづけ,北京死去した。1946-47年の解放区の実情を知らせた《中国人は中国を征服する》(1950)や人民共和国の農村を描いた《人民公社は拡がり深まる》(1959)は日本でも訳され,新中国の建設を紹介する役割を果たした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ストロング」の意味・わかりやすい解説

ストロング
Strong, Anna Louise

[生]1885.10.25. ネブラスカ
[没]1970.3.29. 北京
中国,ソ連通のアメリカの女流ジャーナリスト。中国革命および建設期のソ連の実情などに関する偏見のない報道で知られた。 1907年シカゴ大学卒業。 21年アメリカ・フレンズ奉仕団で訪ソ。 25~27年ソ連の M.M.ボロディンと広東へ渡った。 30~36年ソ連で初めての英字新聞『モスクワ・デーリー・ニューズ』副主筆。 37~38年漢口,重慶を訪問。 46年延安で毛沢東と会見し,毛の「原爆は張り子の虎」論を聞き出す。 49年スパイ容疑によりソ連から追放され帰米。 53年ソ連は無罪と認めた。 58年以降北京滞在。 62~70年『中国からの手紙』 Letter form China (月刊) を出版。著作に自伝『私は世界を変える』I Change World (1935) ,『中国人が中国を征服する』 The Chinese Conquer China (49) ,『スターリン時代』 Stalin Era (56) ,『人民公社は広がり深まる』 The Rise of the Chinese Peoples's Communes (59) ,『チベット日記』 When Serfs Stood Up in Tibet (60) ,『中国数百万の人民』 China's Millions: Revolution in Central China,1928 (65) など。

ストロング
Strong, William

[生]1808.5.6. コネティカット,ソマーズ
[没]1895.8.19. ニューヨーク,ミネワスカ
アメリカの法律家。 1832年ペンシルバニア州で弁護士資格を得てリーディングで開業。 47~51年連邦下院議員。 57年ペンシルバニア州最高裁判所判事。 70年 U.グラント大統領により連邦最高裁判所判事に任命され,62年のグリーンバック紙幣の認可に関する「法貨法」 Legal Tender Actが違憲であるとする最高裁判所の見解を破棄することに指導的役割を演じた。 80年辞任。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ストロング」の意味・わかりやすい解説

ストロング
すとろんぐ
Anna Louise Strong
(1885―1970)

アメリカのジャーナリスト。ネブラスカ州で宗教家の家庭に生まれる。1908年シカゴ大学で哲学博士号を得る。1921年フレンド派教会から当時のソ連に派遣され、奉仕活動に携わったのち、INS、NANAなどの通信社のモスクワ特派員を歴任。1930年にはソ連初の英字紙『モスクワ・デーリー・ニューズ』を創刊、1936年まで編集者として活躍し、ソ連共産党員と結婚した。この間、中国、スペイン、メキシコなどを訪れ、当時の内戦、革命、戦争を報道した。1949年スパイ容疑でソ連当局に逮捕され、アメリカへ送還されたこともあるが、1953年ソ連当局は嫌疑を取り消した。1958年中国に赴き、死去するまで北京(ペキン)に在住し、もっぱら中国紹介にあたった。著書に自伝『私は世界を変える』(1935)、『人民公社は拡(ひろ)がり深まる』(1959)、『中国からの手紙』(1963)などがある。

[鈴木ケイ]

『西園寺公一訳『人民公社は拡がり深まる』(岩波新書)』

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ストロング」の解説

ストロング

アメリカ合衆国の作曲家。ストロングには同姓同名の父親がいる。こちらは弁護士で音楽は趣味としていた。しかし、ニューヨーク教会音楽協会を創立し、ニューヨーク・フィルハーモニック協会の会長も務めたほどの人 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

百科事典マイペディア 「ストロング」の意味・わかりやすい解説

ストロング

米国の女性ジャーナリスト。シカゴ大学卒業後,1921年,フレンド派教会の奉仕団の一員としてソ連に渡り,以来とどまって諸通信社のモスクワ特派員を歴任。1949年スパイ容疑で送還されたが嫌疑は晴れ,1958年以後中国に滞在。北京で死去。主著《中国の民衆》《ソビエトの世界》《中国からの手紙》。

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367日誕生日大事典 「ストロング」の解説

ストロング

生年月日:1885年10月25日
アメリカの女流ジャーナリスト
1970年没

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