タヌーヒー(英語表記)Tanūhī

改訂新版 世界大百科事典 「タヌーヒー」の意味・わかりやすい解説

タヌーヒー
Tanūhī
生没年:940ころ-994

アラブ文学者バスラカーディー裁判官)の家に生まれる。バスラで教育を受け,ブワイフ朝時代にバグダードのカーディーとなる。一時解職,財産も没収され,その間にエジプト旅行。その後復職したものの,同朝の君主,アドゥド・アッダウラによって投獄された。口承文学やそれ以前の文学書逸話を集成した《苦あれば楽あり》が最も有名な作品で,広く読まれ,後代の作品にも多大の影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タヌーヒー」の意味・わかりやすい解説

タヌーヒー
al-Tanūkhī , Abū `Alī al-Muḥassin

[生]939.1. バスラ
[没]994.3.11. バグダード
アラブの作家。特に逸話文学の大家として有名。法官の子として生れ,イラク各地で法官として勤めたが,起伏に富む生涯をおくった。晩年はバグダードで講話著述に没頭した。3つの逸話集のほか詩集なども著わしたが,詩集は伝わらない。逸話集中,最も充実したものは『座談の糧』 Kitāb nishwār al-Muḥādarahで,12巻から成るが,第1,第2,第8の3巻しか発見されていない。しかし,他の文献に引用されたものにより 12巻に復元した版がベイルートで刊行された。ほかに『苦あれば楽あり』 al-Faraj ba`d al-shiddahなど数著を残した。

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