朝日日本歴史人物事典 「ダイヴァーズ」の解説
ダイヴァーズ
生年:1837.11.27
明治期に来日したお雇い外国人。イギリス人化学者。ロンドン生まれ。王立化学カレッジを卒業後,アイルランドで教職につきながらダブリンのクイーンズ・カレッジで医学博士を取得。その後も病院付属医学校に勤務しつつ,次亜硝酸塩類を発見した。明治6(1873)年,工学寮の実地化学の教師として来日し,ダイアーを助けて同校の発展に寄与した。 15年にダイアー帰国後はそのあとを継いで教頭となり,工部大学校が東大に合併後も引き続いて化学の研究と教育に貢献し,32年まで在職。31年勲2等に叙せられたが,昇叙の上申書につけられた論文一覧には,来日前に発表のもの9件,来日後門弟と共同執筆したもの52件,彼の指導で門弟が発表したもの11件が挙げられている。実験中の事故で右眼の視力を失ったが,1日の欠勤もなく研究に打ち込み,日本における無機化学の基礎を築いた。帰国時に,東京帝大はその功績をたたえ,名誉教師とした。 32年に帰国後はイギリス学士会員,イギリス化学会副会長,化学工業会長など学界や産業界で活躍した。東大で工学教師を務めたスミスが工部大学校の教育を批判したことに対し,『エンジニア』誌に反論を載せ,ダイアーの教育実験を弁護したことは有名である。死没時には日本においても追悼会が催された。<参考文献>垪和為昌「ダイバース先生の伝」(『工業化学会誌』33巻9号)
(三好信浩)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報