改訂新版 世界大百科事典 「ティンターンアベー」の意味・わかりやすい解説
ティンターン・アベー
Tintern Abbey
イギリスにある修道院の廃墟。1131年シトー会の修道院としてウェールズ地方グウェント州(旧,モンマスシャー)のワイ河岸に建立された。以後約2世紀の間に増築を重ね,14世紀初頭に最盛期を迎えるが,1349年のペスト(黒死病)流行を境に徐々に勢力が衰えはじめる。1536年から40年の間にヘンリー8世の宗教改革の一環として国内にあるすべての修道院が廃止され,その財産が没収された。いわゆる〈修道院の解散〉である。このときティンターン・アベーは時のウースター伯ヘンリーの所有になり,以後,廃墟への道をたどる。18世紀後半から田舎の廃墟やさびれた村々を旅行することが一種の流行となり,この僧院へもしだいに多くの旅行者がいにしえの郷愁にかられてやって来るようになる。
こうした風潮にのってティンターン・アベーの名を世に広めたのはウィリアム・ギルピンの《ワイ河岸および南ウェールズ観察記》(1782)であった。時まさにイギリス・ロマン主義の時代である。1792年17歳の若き画家J.M.W.ターナーが,翌年,青年詩人ワーズワースがここを訪れる。ターナーはその後幾度か足を運び数多くのすぐれた作品を残し,ワーズワースは5年後の98年に妹とここを訪れ,〈人間性の奏でる静かな悲哀の音色〉を耳にして《ワイ川再訪に際しティンターン・アベーの数マイル上流にて詠めるうた》を書く。またほぼ同じころ歴史家R.C.ホアらがこの廃墟を詳しく調査した。1901年王室が先のウースター伯の子孫から買い取り,14年政府の管轄下にはいって今日に至る。
執筆者:笠原 順路
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報