出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
栃木県大田原市の旧黒羽町にある臨済宗の寺。山号は東山。1120年代ころ,初叟元(しよそうげん)和尚によって旧仏教系寺院として開かれたと伝えられている。しかし後に衰退し,1283年(弘安6)高峰顕日(こうほうけんにち)によって復興され,臨済宗寺院となった。開山の高峰は東福寺の弁円の下で修行後,那須の山中に隠遁したが,その名声が各地に伝わると修行者が参集し,当時筑前で名声の高かった南浦紹明と共に〈天下の二甘露門〉と称せられた。高峰には大同妙喆(みようてつ)はじめ優れた弟子が多く,下野,上野に多くの末寺を創出した。当寺は戦国時代に荒廃し,1578年(天正6)妙心寺派の大蟲宗岑(だいちゆうそうしん)によって復興され臨済宗妙心寺派となった。しかし90年,那須資晴が当寺に拠って反を謀ると讒言(ざんげん)する者があったため,豊臣秀吉によって焼き払われた。その後,徳川家光の時代に妙徳禅師によって復興された。寺内には無学祖元,高峰顕日等の像がある。
執筆者:山本 世紀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
栃木県大田原(おおたわら)市雲岩寺(うんがんじ)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。山号は東山(とうざん)。1281年(弘安4)高峰顕日(こうほうけんにち)(仏国国師)がこの地に草庵(そうあん)を結んで修行していたが、83年に執権の北条時宗(ときむね)が一大禅院を建立したので、顕日は師の無学祖元(むがくそげん)(仏光国師)を招請して開山とし、自らは第1世となった。ついで太平妙準(たいへいみょうじゅん)(仏応禅師)が第2世となったので、この3禅師を「雲巌寺の三仏開山」という。1590年(天正18)豊臣(とよとみ)秀吉によって伽藍(がらん)を焼かれたが、無住妙徳(むじゅうみょうとく)が再興。現在、山門(寺内最古)、仏殿、方丈、庫裡(くり)のほか専門道場がある。寺宝の仏国国師画像、仏応禅師画像は国の重要文化財に指定されている。
[菅沼 晃]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…後嵯峨天皇の皇子で,16歳のとき東福寺円爾(えんに)弁円の門に入って具足戒を受け,1260年(文応1)兀庵普寧(ごつたんふねい)に従って建長寺において湯薬侍者をつとめた。翌年下野那須の教寺に韜晦(とうかい)したが,多くの禅徒が参集したので,やがて禅寺にあらため,雲巌寺(栃木県黒羽町)とし,その開山となった。79年(弘安2)無学祖元が来朝すると,しばしば建長寺・円覚寺に赴いて祖元に参禅し,ついに印可を受けて法を継いだ。…
※「雲巌寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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