日本大百科全書(ニッポニカ) 「デミレル」の意味・わかりやすい解説
デミレル
でみれる
Süleyman Demirel
(1924―2015)
トルコの政治家。トルコ南西部ウスパルタ県に生まれる。1949年イスタンブール工科大学卒業(土木工学を専攻)。国家水利庁長官(1955~1960)などを経て1962年公正党に入党、1964年党首に就任する。1965年2月ユルギュプリュSuat Hayri Ürgüplü(1903―1981)内閣に副首相として初入閣する。同年10月の総選挙で国会議員に当選、公正党も第一党に躍進して1971年3月まで3次にわたって政権を担当する。1971年3月12日、経済危機と社会不安を懸念して軍部が発出した「3月12日書簡」でデミレル内閣は総辞職に追い込まれた。1975年以降、デミレル政権は3回誕生したが(1975年3月~1977年6月、1977年7月~1978年1月、1979年11月~1980年9月)、いずれも国家救済党や民族主義者行動党などとの連立であり、きわめて脆弱(ぜいじゃく)な政権であった。1980年9月の軍事クーデターの後、軍事政権が打ち出した主要政治家の10年間政治活動禁止措置により政界を引退した。しかし、1987年に行われた国民投票の結果、禁止措置が解除され政界への復帰を果たし、民主党、公正党の後継政党である正道党(1983年結成)の党首に就任した。1991年10月の総選挙で第一党に躍進した正道党は社会民主人民党と連立を組み第7次デミレル政権が成立した(1993年5月まで)。1993年4月心臓病で急逝した大統領トゥルグト・オザルTurgut Özal(1927―1993)の後を受けて第9代大統領に選出される。2000年4月、現行憲法の規定(大統領の任期7年。再選不可)を改正する法案(任期5年。再選可能)が国会に上程されたが否決され、同年5月で任期満了となり政界を引退した。カリスマ性と巧みな話術で国民的人気が高い穏健な中道右派の政治家として、国内では自由主義路線、対外的には親西欧政策を推進した。
[長場 紘]