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フランスの作曲家。パリ音楽院に学ぶ。第1次大戦中,外交官詩人P.クローデルの秘書官としてブラジルに滞在。戦後帰国して〈六人組〉に参加。第2次大戦中はユダヤ系であったためアメリカに亡命し,カリフォルニアのミルズ・カレッジで教鞭をとる。1947-62年パリ音楽院作曲科教授。職人的技術をもち,多作家で知られるミヨーの音楽は,20世紀の作曲家としては異例といえるほど膨大な量に上ると同時に,またあらゆるジャンルに及んでいる。論理的構成と多調性,ラテン的明澄性と抒情性を特徴とし,いわゆる新古典的作風を示している。代表作にクローデルの台本によるオペラ《クリストフ・コロン》(1928),J.コクトーの台本によるバレエ曲《屋根の上の牡牛Le bœuf sur le toit》(1919),B.サンドラールの台本による,同《世界の創造》(1923),オーケストラ曲《ブラジルの思い出》(1921),同《プロバンス組曲》(1936),2台のピアノのための《スカラムーシュ》(1937)などがある。
執筆者:寺田 兼文
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フランスの作曲家。エクサン・プロバンス生まれ。1909年パリに出て、パリ音楽院でクサビエ・ルルー、ジェダルジュ、デュカース、ビドールに師事。第一次世界大戦中には外交官詩人ポール・クローデルの秘書官としてブラジルに滞在。戦後パリに戻り、オネゲル、オーリック、プーランク、タイユフェール、デュレーとともに、いわゆる「六人組」の一員となり、作曲家として活躍。第二次大戦中はアメリカに亡命し、カリフォルニアのミルズ・カレッジで教鞭(きょうべん)をとる。47~61年パリ音楽院作曲科教授。ジュネーブに没。多作家として知られ、作品は膨大な量に及ぶ。その音楽はラテン的明澄性と論理的構成を特徴とし、多調性やジャズのイディオムを巧みに取り入れた新古典主義的作風を示している。作品には、クローデルの台本によるオペラ『クリストフ・コロン』(1928)、バレエ音楽『屋上の牡牛(おうし)』(1919)、同『世界の創造』(1923)、管弦楽曲『ブラジルの思い出』(1921)、同『プロバンス組曲』(1936)、数多くの交響曲、種々の独奏楽器のための多くの協奏曲、膨大な数の室内楽曲、二台ピアノのための『スカラムーシュ』(1937)、ピアノ曲、独唱曲など多数がある。
[寺田兼文]
『J・ロワ著、広田正敏訳『ミヨー』(1971・音楽之友社)』
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…以下,そのおもな作品と作曲,編曲者をあげる。1919年,アメリカ映画《散り行く花》(L.ゴットシャルト),22年,フランス映画《鉄路の白薔薇》(A.オネゲル),アメリカ映画《愚かなる妻》(S.ロンバーグ),23年,ドイツ映画《ニーベルンゲン》(G.フッペルツ),フランス映画《人でなしの女》(D.ミヨー),25年,ソ連映画《戦艦ポチョムキン》(E.マイゼル),26年,フランス映画《ナポレオン》(A.オネゲル),ドイツ映画《メトロポリス》(G.フッペルツ),29年,ソ連映画《新バビロン》(ショスタコービチ)等々。
[トーキー以後]
光学録音の発明とともに音と映像がいっしょにフィルムに密着することによって,音楽と映画の結びつきはより親密に,より実験的,前衛的になる。…
… この時期,忘れてならないのはナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命したヨーロッパ音楽の巨匠の多くが,気候温暖なカリフォルニアに定住し,生活のため大学の教壇に立ったことである。D.ミヨー(ミルズ・カレッジ),A.シェーンベルク(南カリフォルニア大学。のちのカリフォルニア大学ロサンゼルス分校),トッホErnst Toch(1887‐1964,オーストリアの作曲家。…
※「ミヨー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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