百科事典マイペディア 「アンデパンダン展」の意味・わかりやすい解説
アンデパンダン展【アンデパンダンてん】
→関連項目海老原喜之助|サロン・ドートンヌ|ラプラード
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展覧会の一形式。だれでもが自由に出品し、審査を受けることなく、また授賞の制度も設けない展覧会。アンデパンダンindépendantとはフランス語で「自主的な、独立の」の意。アンデパンダン展は、1884年5月パリで、官展のアカデミズムと権威主義に反発する画家たちが「独立芸術家集団」(のちに独立芸術家協会)を組織し、自主的に展覧会を開いたのに始まる。以後、この展覧会の形式はまずフランスで定着し、さらに諸外国にも波及して、今日に至っている。初期のアンデパンダン展の推進者のなかには、ルドン、スーラ、シニャックらがあり、ゴッホ、セザンヌ、アンリ・ルソー、ロートレック、マチスらもしばしば参加している。現代美術の多様な展開のなかで、既成の権威や伝統への安住を拒否する純粋な芸術家に、発表の機会を提供するという意味で、アンデパンダン展の役割はきわめて重要である。
[友部 直]
…1863年のサロンは5000点の応募に対し3000点を落選させるという厳しいものであった(前回は4000点入選)ため,ナポレオン3世の助言で落選展Salon des refusés(マネ,ピサロ,ファンタン・ラトゥールらが出品)が行われ,結果としてサロン批判の声を高めることとなった。74年にはサロン入選を果たせない若い世代が印象派展を企画し,81年にはフランス芸術家協会Société des artistes français,84年にはアンデパンダン展Salon de la Société des artistes indépendantsなど,次々に独立分派活動が発足した。20世紀になってからは個性の乏しい展覧会の一つとして存続するにすぎなくなった。…
…第2次大戦後催されたアンデパンダン展,すなわち無審査自由出品形式の展覧会の名称。通称〈アンパン〉。…
…1863年には,サロン落選者のための落選展Salon des refusésが開かれた。その後,この公的機関によるサロンに反対して84年にアンデパンダン展Salon de la Société des artistes indépendantsが組織されたのを初めとして,サロン・ドートンヌSalon d’automne(1903),サロン・デ・チュイルリーSalon des Tuilerie(1923)などがそれぞれの美学上の主張を掲げて組織されている。イギリスではロンドンの美術家の協会であったイギリス美術家協会Society of Artists of Great Britainが1760年に展覧会を開催したのが最初であり,これはローヤル・アカデミーに引き継がれて69年以後毎年展覧会が開催されている。…
※「アンデパンダン展」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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