フランスの詩人。詩、批評、小説、戯曲、バレエの台本をはじめ、画家、シナリオライター、映画監督など「オーケストラ人間」とよばれるほど多彩な芸術活動を展開した。日本で広く愛唱される「私の耳は貝の殻 海の響(ひびき)をなつかしむ」(堀口大学訳)の作者である。姉1人兄1人の末っ子として、7月5日パリ近郊メゾン・ラフィットで、美術・音楽を愛好する富裕な家庭に生まれた。幼少時からパリの社交界の雰囲気になじみ、詩人ノアイユ伯爵夫人、作家となる前のプルーストらの名士の門に出入りし、20歳から23歳の間に3冊の詩集を公刊した。しかし後年、詩人自身はこれらを創造的な作品でないとして自著目録から抹消した。小説家ジッド、音楽家ストラビンスキーと知り合ったころから、厳しい自己探求の道を進み、デッサンと文とで構成する小説『ポトマック』(1913~1919)を完成。第一次世界大戦が起こると民間組織の傷病兵救護団に参加して前線に出、その体験を詩集『喜望峰』(1919)に歌い、後の小説『山師トマ』(1923)に結実させた。画家ピカソ、作曲家サティの協力を得た『パラード』(1917)、新興音楽グループ「六人組」の作曲による『エッフェル塔の花嫁花婿』(1921)などのバレエ台本は新奇な魅力で世間を驚かせた。批評には『雄鶏(おんどり)とアルルカン』(1918)、『世俗な神秘』(1928)などの芸術論、『わが青春記』(1935)、『へその緒』(1962)などの回想記、『阿片(あへん)』(1930)、『存在困難』(1947)、『知られざる者の日記』(1953)などの省察録のほか、旅行記、見聞録、作家論など多様で、すべては美とポエジーの追究に帰一する。
小説では半自伝風の『大胯(おおまた)びらき』(1923)のあと、著者名を伏せた同性愛の『白書』(1928)を出版して論議をよび、やがて名作『恐るべき子供たち』(1929)を発表後は、小説から離れて舞台と映画に情熱を傾けた。現代化した神話劇『オルフェ』(1926)、独白劇『声』(1930)、『地獄の機械』(1934)、『恐るべき親たち』(1938)、『双頭の鷲(わし)』(1946)、『バッカス』(1952)などの戯曲、『詩人の血』(1932)、『美女と野獣』(1946)、『オルフェ』(1950)、『オルフェの遺言』(1960)などの映画は、それぞれ作品のスタイルを変化させつつ、愛と死と詩を主題にした問題作となった。
詩集としては、ルネサンス風な『平調曲』(1923)、絶妙な言語遊戯の『オペラ』(1927)などの中期の名作を経て、第二次世界大戦後の『幽明集』以後しだいに内観的となり、大患の病床でつづった長詩『鎮魂歌』(1962)で、ついに頂点に達した。
多くの素描、パステル画から壁画まで、また陶器その他のオブジェ作者としての活動も含めて、造形作家としての業績も忘れてはならない。アカデミー会員に選出(1955)後も創作意欲は衰えず、最後まで永遠の芸術家だったが、あまりに多角的な才能は正当に評価されず、彼自身「大衆は誤解によってのみ詩人を愛する」と書いたように、終生「誤解の名声」に包まれた「知られざる」孤独な詩人であったといえる。10月11日、パリ近郊のミリ・ラ・フォレに没。
[曽根元吉]
詩人の血 Le sang d'un poète(1932)
美女と野獣 La belle et la bête(1946)
双頭の鷲 L'aigle à deux têtes(1947)
恐るべき親達 Les parents terribles(1948)
オルフェ Orphée(1950)
サント・ソスピール荘 La villa Santo-Sospir(1952)
オルフェの遺言 私に何故と問い給うな Le testament d'Orphée, ou ne me demandez pas pourquoi!(1960)
『堀口大学・佐藤朔監修、曽根元吉編『ジャン・コクトー全集』全8巻(1980~1987・東京創元社)』▽『堀口大学訳『コクトー詩集』(新潮文庫)』
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フランスの詩人。その活動は単に詩だけではなく,小説・戯曲・評論・絵画など,ほぼすべての芸術ジャンルにまたがっている。彼の多才ぶりは瞠目に値し,新作ごとにごうごうたる賛否を巻き起こし,醜聞にまで発展したこともまれではない。しかし彼はあくまでも詩人であり,それ以外の形式を試みる場合でも,常に彼自身の詩を表現しようとした。彼の作品は要するに〈究極においては真実となる虚偽〉の連続であると言えよう。その大半が生の裏返しである死を扱い,眠りと夢を追求し,生と死をつなぐ天使を重視したのも当然である。パリ郊外の裕福な家庭に生まれ,少年時代から社交界に出入りして芸術家たちと知りあい,20歳で処女詩集を刊行,ストラビンスキー,ディアギレフ,ピカソ,サティらとの交友を通じて風変りなバレエ台本を書いた。生涯に発表された詩集は20冊に近いが,《詩集Poésies》(1924),《詩篇集Poèmes》(1948),《明暗》(1954)などが代表作である。小説家としては,死ぬ間際に死んだふりをするほど噓に忠実な《山師トマ》(1923),夢幻に遊びながら死に急ぐ少年少女の妖しい美しさを描いた《恐るべき子どもたち》(1929),この2作でその独自性を十分に味わえる。戯曲としては,人間と宿命との対比を扱ったギリシア風悲劇《オルフェ》(1925),女の孤独を痛切に感じさせる登場人物ひとりの異色作《声》(1930),秩序と無秩序の相克を通じて人間性が非人間的になりうることを示した《恐るべき親たち》(1939)をあげたい。評論集《雄鶏とアルルカン》(1918),《阿片》(1930),《在ることの困難》(1947)などは,コクトーの芸術論であると共にその人間観を述べた好個のエッセーである。映画《詩人の血》(1931),《永劫回帰》(1945),《オルフェ》(1950)などには,おとぎ話に真実を探るこの作者らしい面がみられ,なかでも《美女と野獣》(1946)の幻想的な美しさは忘れがたい。作家ラディゲや俳優ジャン・マレーとの交友,阿片中毒,第2次大戦前の日本訪問を含む早まわり世界一周など,コクトーにまつわる逸話はおびただしい。だが,伝統と前衛,建設と破壊,秩序と無秩序,夢と現実,これらが盾の両面であることを体現した作家として,彼は常に興味深い症例を提供し続けるであろう。
執筆者:大久保 輝臣
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1889~1963
現代フランスの詩人。第一次世界大戦前後から前衛芸術運動に参加し,そののち多くの詩集・評論のほか,『恐るべき子供たち』などの小説,「オルフェ」などの映画からバレエ台本,絵画など多才な活動をした。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…日本でもH.ミュンスターバーグの映画理論の草分け的名著《映画劇――その心理学と美学》(1916)を訳出した哲学者,谷川徹三(久世昂太郎)はその序文で,〈活劇〉によって映画劇全体を推しはかってはならないとし,映画が独自の芸術であることを理解するためには〈優れた監督と俳優との折紙づきの映画を見ること〉だと書いている。商業主義から見放されたいわゆる〈のろわれた映画〉の擁護に立ち上がったコクトーも,他方では〈映画は芸術か〉という問いほどナンセンスなものはないとしながらも,〈すべてのあやまちはシネマトグラフがただ産業の面からのみとらえられてしまった〉ことだとし,〈文学や絵画や音楽が生産されるものではないように,映画もまた生産されるものではない〉と,その〈芸術性〉のみを主張するに至る。こうした見方は根強く,現代フランスの映画理論家J.コアン・セアに至っても,〈芸術〉と〈スペクタクル〉を区別する点では以上のような1920‐30年代の映画芸術論と変わりない。…
…1949年製作。ギリシア神話のオルフェウス伝説に題材を得た自作の同名戯曲(1927)を基に映画化したジャン・コクトー監督作品。オルフェ(J.マレー)が鏡を通して生と死の境界を往還する場面をはじめとして,自己の世界を語るために選ばれたスローモーション,逆回転の手法がG.メリエスを想起させる映画草創期のみずみずしさをたたえている。…
…第2次世界大戦中,ビシーで洋裁を学び,戦後パリに出てパカンの店に入った。ここでJ.コクトー,クリスチャン・ベラール,ジャン・マレーなどの演劇人と知り合い,コクトーの映画《美女と野獣》のコスチュームをデザインした。1946年,ディオールの店に移り,共同で,〈ニュー・ルック〉ファッションを発表した。…
…当時の若いフランスの作曲家たちにとって,マーラー,シュトラウス,R.ワーグナーといったドイツ作曲家のシンフォニーは度を超した仰々しいものと受け取られ,彼らはシンフォニーを避けて描写風短編やバレエ音楽のかたちで,よりリズミックで淡白なスタイルを目ざしていた。ジャン・コクトーが主唱した前衛芸術運動は,エリック・サティの影響をうけ,〈六人組〉と呼ばれた新鋭作曲家G.オーリック,L.E.デュレー,オネゲル,ミヨー,プーランク,G.タイユフェールの精神的支柱となっていた。当然コクトーのジャズへの心酔は,彼らにも影響を与えずにおかなかった。…
…ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。J.コクトーと俳優J.マレーとの関係も有名である。S.モーム,J.ジュネ,M.ジュアンドーらも男色を追求している。…
…1946年製作のフランス映画。J.コクトー監督作品。アバン・ギャルド映画《詩人の血》(1930)をつくり,また,中世の伝説的な恋物語《トリスタンとイゾルデ》を現代化したジャン・ドラノア監督の《悲恋》(1943)の脚本を書いたコクトーが,同じ年にドキュメンタリータッチのレジスタンス映画《鉄路の闘い》を撮るルネ・クレマン監督を〈技術顧問〉にしてつくった作品である。…
…これはモノドラマmonodramaと呼ばれるが,モノローグ劇という言葉は一般にもう少しまとまった一幕劇ないし一回の演目として十分な長さの劇を指すようである。例えばチェーホフの《タバコの害について》やコクトーの《声》はそういう一幕物だが,前者は登場人物が観客に向かって語りかけるというかたちを,後者は人物の電話でのやりとりを観客が聞くというかたちをとっている。後者のやり方の一種として,俳優やせりふによってそこにいるはずの見えない人物の存在を暗示したりすることもある。…
※「コクトー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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