トゥトメス(読み)とぅとめす(英語表記)Thutmose Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥトメス」の意味・わかりやすい解説

トゥトメス(3世)
とぅとめす
Thutmose Ⅲ

生没年不詳。古代エジプト第18王朝の6代目の王(在位前1512ころ~前1458ころ)。トゥトメス1世は2人の王子、2人の王女をもうけたが、王子はいずれも幼くして死亡したため、王位継承は第1王女ハトシェプストに夫を迎えることによって保つこととなった。夫となったのは、トゥトメス1世が側室に産ませた男子で、これがトゥトメス2世である。2世は王妃との間に2人の王女をもうけたが、王子はなかった。しかし側室には男子が生まれた。

 トゥトメス2世が治世9年目に死去したのに伴い、側室の男子が第1王女ネフルラと結婚することによって王位についた。これがトゥトメス3世である。しかし、新しい王夫妻はまだ幼かったため、ハトシェプストが摂政(せっしょう)となって国務を指揮することになった。ハトシェプストは王としてふるまい、その治世は22年間にわたった。ハトシェプストの時代が終わってトゥトメス3世の時代となると、王はまずハトシェプストの痕跡(こんせき)を消すことに狂奔した。22年にわたって自分を日陰者としたハトシェプストへの恨みのゆえである。同時に王は自分の威勢を示す神殿彫像を数多くつくった。外征は王の情熱であった。東と南への大出兵は17回に及んだ。「古代エジプトのナポレオン」という今日の別称もここから生まれている。南はナイルの第四急流までを完全なエジプト支配下に置き、東はメソポタミアの強国ミタンニ王国の膨張を阻み、同国ユーフラテス川の東に封じ込めた。

[酒井傳六]



トゥトメス(4世)
とぅとめす
Thutmose Ⅳ

生没年不詳。古代エジプト第18王朝の8代目の王(在位前1413~前1405)。アメンヘテプ2世の子。ギザギゼー)の大スフィンクスから王位を授かったと自ら称する王。王子のころギザで狩猟し、首だけ出している大スフィンクスの影で午睡したところ、大スフィンクスが夢に現れ、「砂を除け。さすれば王位を授ける」と告げた。王子はそれを実行し、お告げどおり王位についた。いまも原位置にある大スフィンクス碑板はこのように述べている。この王はアジアの大国ミタンニと最初の友好条約を結び、同国の王女ムテムイアを自らの正妃として迎え、友好関係を堅固なものとした。エジプト王が外国の王女を側室として迎えるのはよくみられるが、正妃とするのは異例である。

[酒井傳六]



トゥトメス(1世)
とぅとめす
Thutmose Ⅰ

生没年不詳。古代エジプト第18王朝の3代目の王(在位前1528ころ~前1515ころ)。アメンヘテプ1世の側室の子として生まれ、正統の王子2人が死んだことに伴い、正統の王女と結婚して王となった。外征に力を注ぎ、南はナイル川の第四急流以遠にまで、東はユーフラテス川河畔にまで軍を進め、ヒクソス時代に失われたエジプトの威信を取り戻した。一方、彼は王家の墓制に革命をもたらした。ピラミッド時代以来、王の墓は人目をひく豪壮なものとして築かれてきたが、トゥトメス1世は墓荒らしの歴史を考察した結果、人目を避けた秘められた場所に墓をつくるという道を選んだ。こうして彼はテーベの王家の谷に地下墳墓を築いた最初のエジプト王となった。

[酒井傳六]

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