ハトシェプスト(読み)はとしぇぷすと(英語表記)Hatshepsut

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハトシェプスト」の意味・わかりやすい解説

ハトシェプスト
はとしぇぷすと
Hatshepsut

生没年不詳。古代エジプト第18王朝の5代目の女王(在位前1512ころ~前1490ころ)。トゥトメス1世の第1王女として生まれ、1世の側室の男子トゥトメス2世と結婚。2世の死後、自らの第1王女を2世の側室の男子トゥトメス3世と結婚させ、自らは摂政となり実権を握った。やがて国王称号を名のり、墓を男性の王と同じ王家の谷につくった。治世は22年間続いた。治世は平和であり、芸術、建築、通商が栄えた。デル・エル・バハリのテラス式神殿は彼女のもっとも独創的な建築で、この形式のものは、古代エジプトでほかには一つもない。一方、はるか南のプントソマリア)に大商船隊を派遣して香料その他の産物を豊富に輸入し、前記の神殿壁面にこれを絵図として残した。なお、王家の谷からは1903年に2体の女性のミイラが発見されていたが、2007年にエジプト考古庁はそのうちの1体をDNA鑑定によりハトシェプストと特定したと発表した。

[酒井傳六]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハトシェプスト」の意味・わかりやすい解説

ハトシェプスト
Hatshepsut

古代エジプト第 18王朝の女王 (在位前 1503頃~1482頃) 。夫トゥトモス2世没後,甥トゥトモス3世の摂政に任命され,やがてみずからファラオ (王) につき,女王として先例のない権力掌握,内治と経済復興に力を注ぎ,臣下たちに献身的な奉仕を強いた。また紅海を下ってプントとの交易に力を入れ,カルナック神殿にオベリスクを建て (1本は現存) ,デル・エル・バハリに3段のテラス状の独特の葬祭殿を建造。やがてトゥトモス3世が勢力を強めて彼女の治世 20年頃共同統治者となった。彼女の死が自然死か否かは明らかではないが,死後,神殿の柱や壁面,記念建造物などにある女王の浮彫や名前は,トゥトモス3世により削り取られた。

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