日本大百科全書(ニッポニカ) 「ド・フォレスト」の意味・わかりやすい解説
ド・フォレスト
どふぉれすと
Lee de Forest
(1873―1961)
アメリカの電気工学者、発明家。アイオワ州カウンシル・ブラフスに生まれ、父親ヘンリー・スウィフトHenry Swift de Forest(1833―1898)が学長をしていたネグロ・タラデガ大学のあるアラバマで育つ。エール大学のシェフィールド科学学部の機械工学科を卒業。1899年に「平行電線終端からのヘルツ波の反射」の論文により博士号を得てウェスタン・エレクトリック社に入社した。その後カリフォルニアで自分の研究所をつくり、無線電信の仕事に取り組んだ。その初期の通信システムの改良によって、マルコーニと競うだけの資金を得られた。ド・フォレストのつくった装置は、1903年のアメリカズ・カップを賭(か)けたヨットレースの実況レポートに使われた。また日露戦争(1904~1905)の初期には、ヨーロッパ特派員がこの装置を使って母国への報告を打電している。
当時の無線技術の最大の問題は、微弱な電波をいかに有効に取り出すかであり、具体的には検波器の改良であった。1904年にフレミングによって発明された二極真空管の改良を進めるなかで、ド・フォレストが、グリッドとよばれる第三の格子状電極を入れた新しいタイプの真空管を発明したのは1906年である。この三極真空管は信号の増幅作用、発振機能をもっており、レーベンスタインやラングミュアらの研究を経て、新しい無線技術の中心に位置することになる。彼はアイデアに富んだ発明家で、トーキー、写真伝送、テレビジョンなど300以上の特許をとっている。アメリカの無線工学会の創設には主要メンバーとして関与し、1915年には栄誉メダルを受けている。
[田中國昭]