スロバキア共和国の首都。ドイツ語名プレスブルクPressburg、ハンガリー語名ポジョニPozsony。人口42万8672(2001)。同国の西端部に位置し、オーストリア、ハンガリーとの国境に近い。ブラチスラバ県の県庁所在地でもある。小カルパティア山脈の麓(ふもと)、ドナウ河畔に広がる都市。最寒月1月の平均気温は零下1℃~零下4℃、最暖月7月の平均気温は19.5℃~20.5℃。東西ヨーロッパを結ぶ道路、鉄道、河川交通の要衝。市東部にM・R・シチェファーニク国際空港がある。産業は化学工業を筆頭に機械、食品工業が盛んである。同国最大の企業である石油精製コンビナートの「スロブナフト」、ドイツの自動車メーカー「フォルクスワーゲン」の工場がある。高等教育施設では、総合大学のコメンスキー大学ほか、技術大学、経済大学、音楽大学、美術大学がある。ドナウ川を見下ろすブラチスラバ城、ゴシック様式の聖マルティン大聖堂や旧市庁舎、ロココ様式のミルバフ宮殿、古典様式の大司教宮殿などの歴史的建造物がこぢんまりした旧市街に集中している。
[木村英明]
紀元前5000年ごろ(新石器時代)からの居住者が確認されており、前100年ごろにはケルト人が要塞(ようさい)を築いた。1世紀から4世紀のローマ人による支配を経て、5~6世紀に西スラブ人が移住してきたとされる。9世紀に西スラブ人の国家大モラビア国がこの地を治めるが、10世紀以降ハンガリー王国の支配下に入る。1291年に市の認定を受け、1405年に王立自由都市となる。1465年、スロバキア初めての大学「アカデミア・イストロポリタナ」が設立された。モハーチの戦い(1526)でハンガリーがオスマン軍に破れた後、1536年から1784年まで王国の首都となり、1536年から1830年までは国王の戴冠(たいかん)式が聖マルティン大聖堂で執り行われた。20世紀初頭に市の人口に占めるスロバキア系住民の比率は20%程度であったが、1918年のチェコスロバキア共和国成立以降、スロバキア化が急速に進んだ(1995年のスロバキア人比率、91.5%)。チェコと分離、独立していた時期の1939~45年と、チェコスロバキアの連邦制発足によってスロバキア社会主義共和国が成立した69年以後、その首都となった。さらに93年、連邦解体に伴い独立したスロバキア共和国の首都となった。
[木村英明]
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