日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナスミス」の意味・わかりやすい解説
ナスミス
なすみす
James Nasmyth
(1808―1890)
イギリスの機械技術者。9歳のときエジンバラ高等学校に入学したが、学校の勉強よりも父の職場で足踏み旋盤を使用して、こまなどをつくることに熱中した。1821年、イギリスで初めて設立された技術専門学校のエジンバラ工芸学校に入学した。同時にエジンバラ大学の聴講生にもなり、化学、数学、自然科学を勉強した。生来機械を好んだナスミスは、17歳のときに蒸気機関の模型をつくり、21歳のときには蒸気船の試作をした。1829年、機械技術の腕を磨くため、当時イギリスで名声の高かったモーズリーの弟子となり、モーズリーが60歳で亡くなるまで約2年間働いた。この間スティーブンソンのロケット号を間近に見たり、ワットのソホ工場を見学した。1831年マンチェスターに出て機械工場を建設、1836年にはマンチェスターの西方、ブリッジウォーターに工場を移した。主として小型高圧蒸気機関の製造を行ってきたが、1839年から1853年までに109台の蒸気機関車も製造した。1839年に鉄製蒸気船グレート・ブリテン号の鉄製シャフトを鍛造することとなり、加工用機械として蒸気ハンマーを考案した。高さが5メートルにも及ぶこの機械は、上部のシリンダーに蒸気を送り込み、ピストンに連結しているハンマーを落下させて加工する仕組みになっている。この蒸気ハンマーは船舶や機関車などの大型部品の製造に大きな役割を果たした。
[中山秀太郎]