現代外国人名録2016 「ナワズシャリフ」の解説
ナワズ シャリフ
Nawaz Sharif
- 職業・肩書
- 政治家 パキスタン首相
- 国籍
- パキスタン
- 生年月日
- 1949年12月25日
- 出生地
- パンジャブ州ラホール
- 本名
- Sharif,Mian Mohammed Nawaz
- 学歴
- パンジャブ大学法学部〔1969年〕卒
- 経歴
- 父親はパキスタン重工業界の重鎮でイッテファーク・インダストリー会長。地元の大学を卒業後、父親の事業に参加するかたわら、永年軍政を敷いたジアウル・ハク大統領の知遇を得て1985年政界入り。下院議員とパンジャブ州議会議員に当選。以来、同大統領の“精神的な後継者”といわれ、軍部の強力な後押しで’85年よりパンジャブ州首相を2期5年間務めた。この間、’88年10月保守連合・イスラム民主同盟(IDA)を結成。同年12月ブット政権誕生後は、一貫してその政策に反対し続けた。’90年10月IDA総裁として総選挙に圧勝、11月首相に就任。のち外相兼任。’93年4月カーン大統領により首相を解任されるが、5月最高裁の解任違憲判決で復帰。しかし政治混乱収拾のため同年7月辞任、10月国会の首相指名選挙でブットに敗れる。’97年2月総選挙で自らが率いるイスラム教徒連盟(PML)が単独過半数を獲得し、首相に返り咲く。’98年5月2度の核実験を強行したインドの脅威に対抗するため、パキスタンも核実験を敢行したことを発表。同年9月国連総会の演説で包括的核実験禁止条約(CTBT)へ1年以内に署名する方針を明らかにした。’99年2月インドのバジパイ首相と会談し、核兵器をめぐる紛争回避で合意、ラホール宣言を採択。同年10月国軍ナンバーワンのムシャラフ参謀総長の解任を発表した直後に軍事クーデターが発生、首相官邸で軟禁状態となり首相を解任される。同年11月参謀総長機ハイジャックや殺人未遂などの容疑で逮捕され、12月国家反逆と殺人謀議などの罪で起訴される。2000年4月特別法廷で誘拐と殺人未遂は無罪、ハイジャックなど2つの罪については有罪となり、終身刑と全財産没収などが言い渡され、同年7月脱税や資産隠しの罪でも有罪となり、懲役14年と21年間の政治活動禁止などが言い渡される。収監中の同年12月、恩赦で家族とともにサウジアラビアに国外追放される。2006年拠点をロンドンに移し、政治活動を再開。2007年8月パキスタン最高裁は帰国を認める判決を出し、9月帰国したが、政府により再びサウジに追放された。11月サウジの後押しで帰国。2009年3月治安当局により3日間の自宅軟禁を受ける。同年航空機ハイジャックなどは相次いで無罪となった。2013年5月の総選挙で圧勝し、6月3度目の首相に就任。国防相兼任。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報