精選版 日本国語大辞典 「ぶっと」の意味・読み・例文・類語
ぶっ‐と
- 〘 副詞 〙 風などが一気に吹き込む際の短くて鋭い音を表わす語。また、口をすぼめて息を強く吹くさまを表わす語。
- [初出の実例]「昼はぶっともいはぬ四つ橋」(出典:俳諧・高点部類(1775))
- 「斎藤は〈略〉金口の煙をぶっと吹いた」(出典:金(1926)〈宮嶋資夫〉一〇)
パキスタンの政治家。ブットーともいう。シンド州北部ラルカーナー県の大地主の家系で、祖父の代から政界でも有名なブット家に、父ブット(ズルフィカール・アリー)、母ヌスラットの長女として生まれ、ハーバード大学およびオックスフォード大学で政治学・国際関係を学んだ。連邦政府首相の父が1977年の軍部クーデターで投獄、1979年に処刑されてからは、母とともにパキスタン人民党(PPP)共同議長としてジアー・ウル・ハック軍事政権と対決して反軍政のシンボルとなり、同時に投獄・軟禁・亡命生活を強いられた。1988年の民政回復後の総選挙では、「イスラム社会主義」の看板を下ろして中道政党に転換した人民党が第一党となり、世界で最年少、イスラム圏で最初の女性首相となったが、軍部の意に沿う大統領によって1990年に解任、さらに1993年総選挙で返り咲いたものの1996年に再度解任された。どの政権担当期も連立内閣で政策実績に乏しいうえ、実業家の夫ザルダリAsif Ali Zardari(1956― )の不正行為を含めて腐敗が目だち、下野後職務責任追及の矢面に立たされた。1997年総選挙で政敵ナワーズ・シャリーフのパキスタン・ムスリム連盟に大敗を喫した。その後、首相在任中の汚職等に関する訴追を逃れるため、家族とともにアラブ首長国連邦のドバイに亡命した。2007年10月、パキスタンの大統領令により訴追が免除される方向となったのを受け帰国した。彼女をねらった爆破テロの発生、また一時軟禁されるなどの事態となったが政治活動を再開、同年12月27日に翌2008年の総選挙に向けた集会で演説を終えた直後に暗殺された。
[浜口恒夫]
『読売新聞社外報部訳『運命の娘ベナジル・ブット自伝』(1990・読売新聞社)』
パキスタンの政治家。ブットーともいう。シンド州ラルカーナー県で名門大地主の家に生まれる。1950年カリフォルニア大学卒業、1952年オックスフォード大学法学修士、弁護士資格を取得。1953年帰国後弁護士を開業。1958年10月アユーブ・ハーン軍事政権の商業相に就任、1963~1966年外相として親中国政策を推進した。1966年大統領と対立して下野、1967年「イスラム社会主義」のパキスタン人民党を創立、1970年総選挙で人民連盟に次ぐ第二党に躍進した。1971年バングラデシュ独立後のパキスタン大統領に就任、1973年第三次共和国憲法の施行で首相となり、土地改革、銀行・主要工業国有化などの革新的政策を実施した。1977年3月以降反政府運動が激化し、7月ジアー・ウル・ハック陸軍参謀長(のち大統領)のクーデターで失脚、1979年4月4日処刑された。彼の死後、未亡人と娘ベーナジールがパキスタン人民党の指導者として、民主化運動を行い、ベーナジールは1988年にイスラム圏初の女性首相となった。
[浜口恒夫]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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