ノルウェーの北極探検家、博物学者、政治家。1880年クリスティアニア(現オスロ)大学で生物学を学ぶ。1882~1887年ベルゲン博物館に勤め、1888年動物中枢神経に関し博士号を取得。同年、グリーンランドをスキーで横断した。その後、北極の科学調査を計画し、他国の探検家が成功を危ぶむなか、探検船「フラム号」を建造して1893年に出航した。途中スキーと犬ぞりを用い、1895年4月、従来の記録を破る北緯86度14分の地点に到達。その探検記録として、『最北』2巻(1897)、『ノルウェーの北極探検、1893―1896』6巻(1900~1906)を刊行し、海洋学の発展に貢献した。1897年クリスティアニア大学教授。海洋の調査・研究および探検用具の改良に努める一方、外国での知名度を利用して母国の外交政策にも寄与する。スウェーデンからのノルウェー独立(1905)に際しては、諸外国の政府・世論に訴え、海外の支持獲得に努めた。1906~1908年初代駐英大使。第一次世界大戦中、日用品枯渇対策のため政府派遣団を率いて渡米し、1918年アメリカ政府に援助協定を取り付けた。国際連盟の創設には、戦時中からノルウェー国際平和機構協会議長として、小国の側からの参与を行った。連盟内で高等弁務官になり、約45万人の捕虜の本国帰還、1921年ソビエト・ロシアの難民および飢餓救済、1923年ギリシア、トルコの住民交換に尽力した。1922年ノーベル平和賞を受賞した。
[大島美穂]
『F・ナンセン著、加納一郎訳『極北――フラム号北極漂流記』(中公文庫)』
ノルウェーの北極探検家,海洋学者。政治家としても活躍。オスロ郊外の農家に生まれる。18歳でスケートのスピード世界記録を破り,スキーも名手となる。オスロ大学で生物学を修め,1882年オットセイ猟船でグリーンランド海に動物生態学調査を試みた。ベルゲン博物館に勤務,88年北緯64°を越えてグリーンランドを横断,ゴットホープで越冬し,エスキモーの生活を研究した。93年フラム号で北極海横断航海に出,シベリア北岸沿いにノボシビルスク諸島北方から氷盤に乗って漂流,船の北進が止まった95年3月14日,北緯83°59′から犬ぞりで極点を目ざし,4月8日未踏の北緯86°13′36″に達した。96年生還し母校教授となり,探検報告をまとめたが,それは今も北極海の基礎知識となっているもので,溶けた氷雪で低塩分の表層水がある海域では船の推進力が吸収される〈死水(しすい)〉現象や,風による海流が風向に約40度右偏する現象等の解明,北極海中層に濃塩分の大西洋水塊潜入現象の発見等,重要な業績が収録されている。99年海洋探査国際会議創設をJ.マレーらと提唱,1900年国際海洋調査団長として北大西洋を巡検,その後も国際海洋調査に活躍した。ナンセン連結採水器,10万分の1桁まで測れる全潜比重計,ナンセン式振子流速計の発明等,海洋測器の考案改良も多い。ノルウェー独立後の06-08年初代駐英公使,第1次大戦後は国際連盟や赤十字の代表として捕虜送還,難民救済などに尽くし,22年ノーベル平和賞受賞。27年,国際連盟の軍縮委員会におけるノルウェー代表となった。《最北》2巻(1897),《ノルウェーの北極探検,1893-1896》6巻(1900-06)などの探検記や国際関係論など多数の著書がある。
執筆者:石山 洋
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1861~1930
ノルウェーの探検家,政治家。1893~96年フラム号に乗って極地を漂流,途中そりで北極に向かい北緯86°14′に達し,極地が海洋であることを立証した。第一次世界大戦後,難民救済に国際的活躍をした。1922年ノーベル平和賞受賞。
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…しかし,数千mに及ぶ深海からその深さや水温が正確にわかる試料を他の海水と混合させずに,また目的とする成分に変化を与えずに採取することは必ずしも容易ではない。これまで通常の海洋観測では,1904年ノルウェーの海洋学者F.ナンセンの考案した採水器(ナンセン採水器)が世界的に最も広く用いられてきた。この採水器は,観測船のウィンチから繰り降ろすワイヤに適当な間隔に取りつけ,目的とする長さまで伸ばして採取するもので,1~2lの海水試料が得られる。…
… 亡命者(避難民)の問題を国際的に取り上げたのは国際連盟であった。1920年に設立された連盟は,ノルウェーの探検家F.ナンセンを亡命者救済の高等弁務官に任命し,主として,ロシア革命後のロシア人亡命者の救済にあたらせた。この200万人に及ぶ亡命者は国籍を剝奪されており,有効な旅券も所持していなかったことから,ナンセンは国際的に効力をもった身分証明書の交付の発行を訴え,連盟理事会で承認された(ナンセン旅券)。…
…33年後に日記や未現像フィルムが発見された。デ・ロングのジャネット号の漂流にヒントを得たノルウェー人F.ナンセンは耐氷木造船フラム号を造り,1893年9月にジャネット号の沈没地点付近から氷とともに漂流した。船は95年2月には北緯84゜近くに達したが,これ以上の漂流による北進は望みなしと判断したナンセンは隊員1名と犬ぞり(橇)とボートでさらに北進した。…
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